今年の総括

今年は〝令和元年〟の暁と伴って、
私にとっては〝50歳〟になったことと、
〝西栄寺入寺20年〟さらに
〝お寺の介護はいにこぽん〟を起こして5年
という三つの大きな節目の年であった。

さて、人として50年、僧侶として20年、
お寺の介護福祉部長として5年の私は、
どれほどの人間なのだろうか。

現在は、責任ある立場に就き、職員を束ね、
私の意思が事業部の運営に大きく影響する。
この状況は相応の努力があってのことと、
一応は自己評価できる。

けれど、今の状況をよくよく考え巡らしてみると、
このような結果を作り出したのは、
周りの人たちや環境が素晴らしい故だと気づかされる。

これからは、周りの人たちや今の環境に、
心底感謝できるかどうかが、私の最大の課題である。

私の人生、だいぶ時間が掛かったが、
生きている意味が見つかったような気がする。

疲労の原因

季節の変わり目は体調を崩しやすいといわれています。
これは、寒暖の差に体の代謝がフル回転し体力を消費することで生じる疲れといえますが、そもそも〝疲れ〟の主な原因は、体を動かさないことで血流が滞留し、新鮮な酸素が大事な脳や臓器に送られていないことにあります。
「何もしていないのにしんどい」という嫌な経験は誰にであると思いますが、体を積極的に動かした疲れの方が、食欲も旺盛になり、夜も良質な睡眠がとれて次の日に持ち越さない良い疲れといえます。

西宮坊の山門に座すお地蔵様方

ゆっくり

身体の健康はもちろんですが、心の安定にも大きく影響するのが自律神経です。
自律神経には交感神経と副交感神経があり、これらのバランスを整えるのが心身ともに大切です。
ではどのように整えるのでしょうか。
一言でいうと「ゆっくり」です。
何かにつけて、私たちは忙しく暮らしていて、どちらかというと交感神経優位な状態で過ごしています。従って「ゆっくり」を意識的に行えば副交感神経が働き、自律神経のバランスを保つことができます。
忙しく感じている時ほど「ゆっくり」を意識して、自分に言い聞かせましょう。

でも忙しいそうな人を見かけて「ゆっくり」と声をかけても「うるさい!」と言われかねません、特に家庭の奥様や職場の女性スタッフなどに親切心で声をかけても、恐ろしい結果を招くことになりそうです。ご注意を…

参考著書〜小林弘幸(2011)「なぜこれは健康にいいのか?」サンマーク出版〜

テロメア!

最近話題の「命の回数券・テロメア」
テロメアは、人の寿命に大きく関わっているとされ、細胞の中の染色体の先端部分にある物質で、テロメアの不活性が、ガン発生の原因であったり、老化を早めたり、寿命を縮めるということがわかっているそうです。
このテロメアを活性させ健康寿命を伸ばす方法が盛んに研究されていますが、最近判明しつつあるテロメア活性方法のひとつに「瞑想」が効果抜群だそうです。
「瞑想」とは呼吸を一定に整え、心と頭の中を静寂に保つための行ですが、これはお釈迦さまが長年の修行で会得した悟りを開く方法です。
お釈迦さまは80歳まで生きられましたが、当時の80歳は超長生きと言っても過言ではありません。これはきっと瞑想によって、お釈迦さまのテロメアが活性化されていたと考えても良いのではないでしょうか。
これで、仏教は優れた健康法だということが証明されたわけですね。

まあ、私の場合は、知る人ぞ知る“迷走”の達人として崇められて!?いますので、ことさら動じることも御座いません。
(-ノ-)/Ωチーン

七五三

子供たちの成長は早いもので、幼児の成長を祝う我が家の神事は、三女の七歳参りで満願となります。
「えっ!お坊さんが神事!?」と思われるのもごもっともですが、子供たちには色々と経験をさせてやりたいと思う親心であり、その上で、もう少し大人になってから、自分の考えで、仏教や宗教と向き合って欲しいと考えています。私自身がそうであったように。
『神社は七五三で通い、 青春の時代には教会で賛美歌を歌い、大人になってようやくお寺で人生を思索する。』という言葉がありますが、私たち日本人は、自然に対する感覚が特に洗練されているように思います。
その感覚が神や仏の習合として繋がり、さらに宗教の教義に縛られることのない
その地域に根ざした民間信仰となって生活に密着しています。よくよく考えれば、日本人は、無宗教でも無信心でもなく敬虔な民間信仰の信者なのですね。

次女と三女がお参り

ついにきた!ハロウィン!

ハロウィンと聞いて思い出すのは、
緩和ケア病院で傾聴活動をしていた時、ハロウィンの飾り付けを見た患者さんと奥さんの会話です。
患者さん「これなんや?」
奥さん「外国の地蔵盆や!」
私の心「納得!感激!」

けれど、最近の子供達には地蔵盆よりハロウィンの方が圧倒的に人気ですね。
我が家の三女もせっせと飾り物を自作していました。

無量寿

「無量寿の中に居る私です。生きて良し、死んで良し。」

無量寿とは「永遠の命」のことを言います。
永遠の命とは、「命のつながり」と考えます。
私たちは、この永遠の命のつながりの中に存在しています。
命とは人間だけではありません。
動物はもちろんですが草や木、土の中にいる微生物も命です。
そのような無数の命のつながりの中で生かされて居るのです。
このような感覚を持つことは、
日々生きることの尊い意味を感じ得ることにつながります。
これを「宗教的発露」と言って、一種の悟りでもあります。

私のように食べることに卑しく、草や木や微生物など好き嫌いなく、
なんでもむしゃむしゃいただくのも一つの悟りでしょうか…
いや、ちゃうやろ…
(゚∀゚)キタコレ

ご縁

10月に入りました。
お盆が過ぎ、お彼岸が過ぎ、私にとってほっと一息つく10月です。
じっくりと日帰り温泉などで思いふけりたいものですね。
何気ない1日の中にも、多くの人と出会います。
たまたま立ち寄ったコンビニの店員さんも出会いの一つとしたら、
それはたくさんの人と出会っているといえます。
そのような多くの出会いには必ず意味があるとしたら、
もしも、前世でなんらかの繋がりのある人だったら、
と考えるとなんだか嬉しくなりませんか。
仏教の教えでも基本をなすのが、この「縁」にあります。
世の中のすべでの事象は過去現在未来の三世十方を貫く道理「縁」によって成り立っていて、その全ての結果に原因があり意味があるということです。
私と奥様が知り合って結婚に至ったのも意味があってのことなのです。
という話を奥様すると「そんな話無意味やし、まだ離婚するかもしれへんから結果出てません!」

今日も一日、深き尊きご縁に報謝の心で尽くしましょう…

三女

子供の成長は嬉しい反面、切なくもある。
このような幸せな時間が永遠に続けばいいなと思わずにはいれない。
三女は、家族の中でもっとも冷静に家族間のバランスを分析して、その場に応じた態度で接することができる。
なによりも次女のことが大好きで、いつも甘えている。
ときとしてケンカもしているが、次女の方が、すぐに謝っているようだ。
とにかく、次女も三女も、亡き長女に見守られながら素晴らしい人生を送ってほしいな。

しまの日

おもえば、私がが現在のように、お坊さんヘルパーや臨床宗教師の活動を行うようになったのは、長女『しま』がダウン症であり完全型心内膜床欠損症をもって生まれてきたことが大きな要因だ。
長女は生前多くの方々に支えて頂いた。特に地元の小学校への入学は学校内でしまの携帯用酸素ボンベを持って一緒に行動してくださるボランティアの看護師さんと
奇跡的に出会えたことで実現した。
しまは、多くの方々の支援によって生かして頂けた。
しまが亡きあと、そのことの感謝とお礼をお返しさせていただくのが父親の使命だと強く考えるようになり今まで突っ走ってきた。
いよいよ、お寺の介護はいにこぽんのいえ
介護施設開業まで一か月を切った。
しまは、喜んでくれているかな…

小学校でにこやかな笑顔のしま