仏様を迎えます

また、仏様をお迎えしました。
自宅で奉るのが困難になったということで
当寺にご縁をくださいました。
穏やかな御顔をなさっておいでで御座います。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
汝が目を正しくせよ。
汝が耳を正しくせよ。
汝が鼻を正しくせよ。
汝が口を正しくせよ。
汝が身を正しくせよ。
汝が意を正しくせよ。
ーー正行経
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

年明け夜勤

 (-ノ-)/Ωチーン
お寺の介護はいにこぽん
1月1日から六日連続の日勤夜勤
誰もが尻込みする夜勤
入所者と向き合うなら夜が重要なのに

今夜はお通夜へ参勤  
久方ぶりの西宮念仏道場

入所者の苦は私が聴く
私の苦は阿弥陀さまがお聴きくださる
すべては阿弥陀さまの御手まわし
合掌

薬師寺

奈良・薬師寺
利用者さんの参拝に同行
外国の観光客や修学旅行生にのみ込まれながらも
薬師如来さまに ひたすら合掌を向ける利用者さん

『信心よろこぶ人はみな、如来とひとしと解きたもう』

当たり前

春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて冷しかりけり 『道元禅師』
川端康成はノーベル文学賞の受賞講演の冒頭から
この歌を詠んだ
日本人の持つ自然に対するあの世感
当たり前のようにめぐる四季の情景
もしも、自分の命の時間が残りわずかになれば
この当たり前なことが
どれだけ幸せを与えてくれることなのかが
身にしみるであろう

他力信心

2015ー11/3
果たして、心から仏を信じることができるだろうか…
信じるという行為を徹底的に考察すればするほど、利己的な己が透けて見えてくる。
そもそも、信じ切れば「信じる」という言葉は要らない。
おそらく自分にはそのような信じ切る能力は無いだろう。
しかし、阿弥陀様はそのような私達のことをよく存じておられる。
なので、阿弥陀様の方から私達に信じる力を与えてくださる。
つまりこれが『他力信心』である。
信心とは起こすのではなく、与えられるものなのだ。
そうだ!!私も、娘たちに、父親を信じることのできる力を与えよう!!
結果、全拒否でした(-ノ-)/Ωチーン

南無阿弥陀佛