四苦八苦

トラブルなどを懸命に片付ける様を「四苦八苦・しくはく」するといいますが、
この言葉は、仏教の基本的な考え方で「しくはっく」と読みます。
ちなみに、私の人生は絶え間ない「四苦八苦」の連続ですが…
そんなことはともかく、読んで字のごとく、
私たちには本来、四つの苦しみと八つの苦しみが存在するという意味です。

四つの苦しみとは....生老病死(しょうろうびょうし)
八つの苦しみとは....生老病死に加えて
愛別離苦(あいべつりく)愛する人との別れの苦
怨憎会苦(おんぞうえく)恨み憎む人の存在の苦
求不得苦(ぐふとっく)求めるものが得れない苦
五蘊盛苦(ごうんじょうく)心身ともに不安だらけの苦

こうして見てみると、心に思い当たる〝苦〟がありますね。
年齢も50歳を過ぎますと、否応なく〝老〟を考えさせられることが多くなります。たとえば、血圧が高くなったとか、筋力が衰えるとか、二日酔いが酷いとか、徹夜ができないとか、娘たちに相手にされないとか…
そういうような、心にモヤモヤと覆うような状態や現象を「苦」として認識することからはじまるのが仏教でございます。

書家:吉田

苦の存在

5月も終わり6月がスタートします。
しかし5月は怒涛の日々を過ごしました。
西栄寺の介護福祉部では、コロナウイルス対策で
多くの問題にぶつかりながらもなんとかしのいできました。
あらためて〝生きる〟ことの大変さを実感した日々です。

仏教では、世の中は、つらいこと、悔しいこと、腹立たしいこと、
悲しいこと、苦しいことに覆いつくされていて、
真に喜ぶべきことは無いという教えがあります。
すべては〝苦〟という前提があって、
その〝苦〟を如何にして滅していくのかが仏教です。

私たちはどうしても〝苦〟遠ざけることに専念しますが、
〝苦を滅する〟ためには苦を受け入れるところからはじまります。
苦しさがあるからこそ、幸せがあることに気づかなければなりません。

6月は〝苦〟をテーマにした吉田流の考えをつづってみようと思います。

ゼロリスク信仰

東日本大震災のとき大学に提出したミニレポートのことを思い出した。
〝ゼロリスク〟をもとめる群集心理についてだ。
あらためて今の状況にもあてはまる。
なにより冷静さを失わず自分なりの分析を怠らないことが大事。

ダライ・ラマ

「人類に関してもっとも驚いていることは、
人は、お金を儲けるために自分の健康を犠牲にし、
健康を取り戻すためにお金を犠牲にする。
そして、将来を不安がって今という瞬間を満喫できません。
結果的に、現在にも将来にも、どこにも生きることができないのです。
人は、あたかも自分が死なない者であるかのように生きています。
そして〝本当に生きる〟という経験をしないまま死んでしまうのです。」

ーダライラマー チベット仏教の最高位で世界的賢者

考えさせられることばです。
不安要素が取り巻くなかでこそ、
わたしたちはしっかりと前を向いて
生きていかなくてはなりません。

庶民仏教

『幕府の宗教統制は仏教会を堕落させるが、
庶民の手に渡った仏教はエネルギーを爆発させる!』

このフレーズに感銘を受けて手にした本

私たち西栄寺は現代においても、
宗派に属せず独立した「単立」として
現代人の感覚にあわせた宗教活動を行っている。
決して本山系の大寺院を否定する意図はないが、
教義や教則を原理主義的に説くより、
僧侶である自分たちも含めて
世の中の困難に立ち向かうための手段として
今こそ仏教を解き直してみるべきだ。

仏教の本質は「覚り」を得ることにあって、
それは〝自分自身〟の中にある。
つまり、対象は人間である自分自身であり、
個人主義的な宗教なのだ。
ただ、本当の「覚り」を得た人間は、
ブッダ・仏陀のただ一人である。
私たちは約2500年前に起こったその「覚り」が
一体なんだったのかを今日も探求しているに過ぎない。

一方で、人々の探求の苦難から求活され生み出されたのが、
大乗仏教であり、それが庶民の仏教に生まれ変わったといえる。
そして、「覚り」は「救い」へと変化し、
「救い」は私たちに利益を与えるものとして
信仰のエネルギーを爆発させる。

今の時代、とても重要なことは、
宗教としての仏教を詳しく知ることよりは、
ブッダのこころを日常に照らし合わせて考えることである。

図説 日本の仏教 第五巻「庶民仏教」新潮社

 

空けない夜はない

コロナウイルスに係る
緊急事態宣言が兵庫県も解除されました。
ひとまずは素直に喜びたいものです。
それにしても、不確かな時代に生きているのだと
あらためて認識しなければなりません。
ウイルスの脅威
自然災害
格差社会
人工知能の台頭
けれど、生きている限りどんな苦難も
乗り越えることができるはずです。
夜が必ず空けるように。
そして、夜明け前がもっとも暗闇だとも。
〝一寸先は闇〟というけれど
〝一寸先は光明〟という前向きなこころが
今は大切です。

西宮坊の切りかぶに座すほとけさま

しまの日

しまはいちごが大好物でした。
小学校で育てたいちごを
美味しそうに食べてた様子を
今でも思い出します。

小学校で育てたいちごと小学校で作ったかごと満面の笑み

百忍

「変に処しては〝百忍〟の意を以ってこれにあたるが如し」
中国古典の指南書「菜根譚」にあることばです。
「変に処しては」とは人生において踏ん張りどころであり、
「百忍」とは〝忍〟を〝百回〟書き記すほど耐えるという意味になります。
いま、まさに、世の中は「変に処して」であり、
そして「百忍」の心で乗り切らなくてはなりません。

西宮坊の山門でお客様を迎える仏さま

仏教の救済

新型コロナウイルスの猛威に世界中が混乱し、
多くの人たちが生活環境の激変に耐え忍んでいます。

このような状況で「仏教は何をしてくれるのだろか…」と
自問自答を繰り返しますが、正直なところ明確な答えは
浮かんできません。

仏教の本質は「自らの修練で悟りをひらく」ことにあり、
じつは、仏教の方からの救済はありません。

しかし、祈ったり拝んだり願ったりすることは、
人間の営みに不可欠な行為であります。
そのことで、救われる人が多くいるのも事実です。

現在のような不安定で困難なときは、
自宅で、手を合わせて静かに祈ることも大切であります。

少し優しく微笑んでいるように見える西宮坊のお釈迦さま