花まつり

4月8日はお釈迦さまの誕生日です。
お釈迦さまがお生まれになったとき、お堂を花で飾ってお祝いをしたと言い伝えがあり、現在でもそれを模した仏教行事が営まれます。
西宮有馬坊でも、本日は、「降誕法要」を勤修致しました。
その様子は、下記のリンク先で視聴できます。

生死の境

お寺の介護はいにこぽん
高齢者住宅の現実
生死の境がここにある
厳しい夜が続く…

生死の苦海ほとりなし
ひさしく沈める我らをば
弥陀弘誓の舟のみぞ
乗せて必ず渡しけり・・・高僧和讃

特に夜勤は2名でその重責を担う厳しい職種


6月のおしらせ 

この投稿はトップに固定しています。最新の投稿は以下よりご覧ください。

写経しませんか!

西宮有馬坊では写経を受付けさせていただきます。
特に、ご法事などでお越しの方々に、ご法事のお勤め後に写経をして、ご供養に深みを持つことが最善かと考えます。
詳しくは、西宮有馬坊に直接お問い合わせください。

⚫︎➖➖➖➖➖⚫︎➖➖➖➖➖⚫︎➖➖➖➖➖⚫︎➖➖➖➖➖⚫︎➖➖➖➖➖⚫︎

◉寺カフェでゆっくりしませんか?

法事の後に、久しぶりに顔を合わせたご親族さま同士でゆっくりとおくつろぎいただけるように“寺カフェ”をご用意しています。
ご法事の後などはぜひご利用ください。

霊感商法

以前、当寺に霊感商法で買わされたという仏像のお引き取り依頼がありました。
そのときは、このご時世に未だそんなことしている宗教者がいるのか!?と驚きましたが、最近の宗教団体のニュースなどから、今もまことしやかに、そのような憂慮すべきことが起こっていることに、同じ宗教者として腹立たしく思います。
思えば「葬儀のお布施を100万円支払った」とか「戒名を授けてもらうのに80万円かかった」また「お墓を終うのに200万円請求された」などの既存仏教の寺に関する話を耳にしたこともありますが、宗教に関することが、その人に苦しみを与えているとすれば、既存仏教寺院であれ新興宗教であれ、これは宗教ではありません。〝宗教〟を隠れ蓑にし〝信仰〟につけ込んだ非道な行為です。
宗教の基本は〝救い〟です。誰しもが救われなければなりません。
西宮有馬坊でも、改めてこの基本に立ち返り、皆様方の安穏のために尽力しなければならないと心を強くしている次第です。


祈り

世間を騒がしている宗教団体についての一考。
個人の信仰について、その対象が何であれ個人が希望と勇気を与えられるとしたら、それは絶対に尊重されるべきです。
しかし、カルト宗教でよく言われている「無理強いな勧誘」「しつこい勧誘」「心理的恐怖の植え付け」「高額な寄付や宗教品購入の強要」「家族からの引き離し」などの行為は極めて憂慮すべき問題で、これは宗教的行為ではなく反社会的な行為というべきです。
しかし、これらの行為も、団体からの強要ではなく個人が自発的に行い、そのことで精神的安定を得る場合もあり、単純に批判をしづらい側面もあります。
また、いかなる宗教的な行為も、その行動原理は〝個人が救われる〟ことにあり、そのための行為の濃淡が救いの明暗を左右する旨の解釈ができる教義があるもの事実です。
しかし本来の宗教は、行為の程度によって救いが決まるのではなく、行為そのものが尊いのであり、この尊い宗教的行為の第一義は〝祈る〟ことにあります。
宗教の教えにある、「人前で祈りを見せたりするのではなく、暗い部屋に入り一人静かに祈りなさい」という言葉が示す通り、宗教的な行為は自分の中に向けて行われるべきことであり、教団や同胞に対し行われるものではありませんし、ましてや、程度の大きさや寄付の多さで救いが確実になるのでは決してありません。
西栄寺西宮有馬坊とご縁のあるみなさまにとって、心豊かな尊い祈りによって、穏やかにあられますことを心より念願しております。

南無阿弥陀仏



お盆参りが始まった!

今年もお盆参りが始まりました。
世の中不穏な空気に覆われていますが、夏の盛りに、清らかなご先祖さま、聖なる仏さまの存在を感じることで心が癒されることを念願いたします。

お参りの途中に写真を一枚パシャ

原爆犠牲者追悼供養

西宮市人権平和推進課内・原水爆禁止西宮市協議会のご依頼で、本年も〝原爆犠牲者追悼供養〟を勤修致しました。
日本は77年前、人類史上初めて原子爆弾を投下された国ですが、その日本しかできない平和的な活動が必ずあるはずです。
昨今、世界中が不穏な空気に覆われています。
今日は、戦争でお亡くなりになられた全ての人の御霊に哀悼の意を捧げると共に、世界の平和を心より願い奉ります。

原爆投下時刻 
広島 午前8時15分(昭和20年8月6日)
長崎 午前11時02分(昭和20年8月9日)

見守り

阿弥陀さまは、どんなことがあっても見守ってくださいます。
絶対に置き去りになどしません。
どななに孤独であっても、かならず近くで見守ってくれています。

ぜったいに見放さない