取材

今日も、お寺にて新聞社の取材を受けた。
最近、テレビや新聞の取材依頼が続いているが、メディア側の傾聴姿勢も様々で、それが私とピッタリだと、言わなくてもいいような事も、ペラペラと話してしまう。
『傾聴力』などと言って、 さもすごい技のようなものが有ると思ってしまいがちだが、
結局は話しているお人を尊ぶ心が有るかどうかだと思う。
私は、取材の度に申し上げているのは、
「宗教者の私に、話をすれば癒されるはずだ!」という宗教者にありがちな慢心が有れば、それは話をする側が一番見透かしていることで、それでも、「宗教者としてのあなたのプライドを傷つけたくは無いので語る。」と言うやさしい人も居るのだ。
こうなればもはや、宗教者の慢心ための支援になり、本末転倒の有様だ。
したがって、お人のお話をお聴きするのには、技や力では無く、他者を尊ぶ心に尽きるのだ。
その尊ぶ心を養う教えこそが、宗教なのではなかろうか。
「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」とは、山も川も、森も花も、動物も虫も、生きとし生けるもの全てが『仏性』を持っているという教え。
それならば、すべてのいのちに備わる『仏性』を尊ぶのは、とても大切な信心なのではないだろうか。合掌

テレビの取材

先日、テレビ局の取材依頼が2件続いた。
いずれも、私が東北大の臨床宗教師の第一期生で、現在は緩和ケア病院で傾聴活動をしていることを取り上げてのことだ。
しかし、テレビに取り上げて頂くのは理屈抜きに嬉しいことだが、私は意を決してそのご依頼を断った。
私ごときが、テレビに映ることなどもう二度と無いだろうけど、今回は涙をのんで断った。

それは何故か…

その答えは、今日の『聞き屋』活動でも明らかだった。詳しく記述することはできないが、今日も患者様と『いのち』について、かなり深いところまでお話をお聴きすることが許された。
その患者様と、そのところまで話を深めるには、 私の方もお話をお聴きする姿勢を保つだけで、汗がしたたり落ちる程の集中力が必要だ。
けれど、そういう場面にカメラが入るとなると、患者さまのお話やお気持ちに著しく邪魔になるのは目に見えている。
それでは、患者様の大事な時間を私の都合で奪ってしまうことと同義である。
緩和ケアホスピスに来た患者様方々は、残されたいのちの時間に重大な決断を下された方々であり、私たちの想像を絶する覚悟を決めて来た方々であり、私の取材などどうでも良い。
それでも取材が許されるとするなら、患者さまが主になり、いのちに向き合い、人生を見つめ直す寡黙なお姿をとらえるべきだ。

今日19日は、長女の月命日だが、去年の5月19日に緩和ケアホスピスに問い合わせて6月から活動を開始した。
もう少しで一年をむかえようとしている。

新聞

『聞き屋』お坊さんと話しませんか! の活動が読売新聞に取り上げられました。

一番嬉しかったのは、お寺のご近所さんが、
その新聞を一束も、買って持参下さった事です。
こんなにもありがたいことはありません。
恐悦至極に存じます。