先日、テレビ局の取材依頼が2件続いた。
いずれも、私が東北大の臨床宗教師の第一期生で、現在は緩和ケア病院で傾聴活動をしていることを取り上げてのことだ。
テレビに取り上げて頂くのは理屈抜きに嬉しいことだが、私は意を決してそのご依頼を断った。
私ごときが、テレビに映ることなどもう二度と無いだろうけど、今回は涙をのんで断った。
その理由は、今日の『聞き屋』活動でも明らかだった。詳しく記述することはできないが、今日も患者様から『いのち』について、かなり深いところまでお話をお聴きすることが許された。
その患者様と、そのところまで話を深めるには、 私の方もお話をお聴きする姿勢を保つだけで、汗がしたたり落ちる程の集中力が必要だ。
けれど、そういう場面にカメラが入るとなると、患者さまのお話やお気持ちに著しく邪魔になるのは目に見えているし、私自身も相当意識をしてしまうのも明白だ。
それでは、患者様の大事な時間を私の都合で奪ってしまうことと同義である。
緩和ケアホスピスに来た患者様方々は、残されたいのちの時間に重大な決断を下された方々であり、私たちの想像を絶する覚悟を決めて来た方々であり、私の取材などどうでも良い。
それでも取材が許されるとするなら、患者さまが主になり、いのちに向き合い、人生を見つめ直す寡黙なお姿をとらえるべきだ。
今日19日は、長女の月命日だが、去年の5月19日に緩和ケアホスピスに問い合わせて6月から活動を開始した。
もう少しで一年をむかえようとしている。