2015ー11/3
果たして、心から仏を信じることができるだろうか…
信じるという行為を徹底的に考察すればするほど、利己的な己が透けて見えてくる。
そもそも、信じ切れば「信じる」という言葉は要らない。
おそらく自分にはそのような信じ切る能力は無いだろう。
しかし、阿弥陀様はそのような私達のことをよく存じておられる。
なので、阿弥陀様の方から私達に信じる力を与えてくださる。
つまりこれが『他力信心』である。
信心とは起こすのではなく、与えられるものなのだ。
そうだ!!私も、娘たちに、父親を信じることのできる力を与えよう!!
結果、全拒否でした(-ノ-)/Ωチーン
南無阿弥陀佛