10月になり、暑さもすこし和らぎ、ようやく物思いにふける秋の香りが漂いはじめました。
最近〝陽キャ〟ということばを若い世代からよく聞きます。陽キャとは、陽気なキャラクター(人柄)を意味していて、一昔前では〝リア充〟と言われてました。
これらことばの意味は、一瞬たりとも無駄な時間を過ごさず、ひたすらに楽しいことや美味しいものなどを探求し、毎日を謳歌するその様子を演出することに長けている人のことを指すようです。
一方、この、陽キャではない人のことを、陽の陰に潜んでひっそりと存在する人柄で〝陰キャ〟と言うようですが、私自身はまちがいなく性格も行動においても陰キャだと自負するところです。
さてさて、この時期を表す言葉〝学びの秋〟〝読書の秋〟〝考える秋〟などが云い伝わってきたことの意味を考えますと、一度立ち止まり、自己の内面をみつめる作業に最適な季節であり、それはまさしく〝陰キャ〟こそが主役として〝輝く〟数少ない大舞台であります。
智の巨匠デカルトは「我思う故に我あり」と人類史に命題を残しましたが、壮大な哲学に埋もれて、何者でもないただのひとりの陰キャが、何気のない秋の夜長に思い巡らすその姿を月夜が照らします…
「秋思ふ故に秋あり」 キタコレ(゚∀゚)人アミダサマ
