ゆっくりゆっくり

人間の神経は、中枢神経から末梢神経の回路を経て体性神経と自律神経に分かれて、さらに体性神経は運動神経と知覚神経に、自律神経は交感神経と副交感神経に分かれます。
どの神経も私たちの体になくてはならないものであるのはいうまでもありませんが、特に私は自律神経のケアについて重要視しています。例えば、心臓や胃などの動きは自分で思うように動かせませんが、それでも動いているのが自律神経の働きがあるからです。このことをとってみても自律神経がいかに重要かが分かります。
体の健康と心の健康どちらにも大きな影響力を持つ自律神経ですが、思うように鍛えたり整えたりすることができません。
それでも、この自律神経のバランスを保つコツがあります。それは「ゆっくり」です。
ゆっくり呼吸、ゆっくり話す、ゆっくり歩く、ゆっくり食べる、ゆっくり暮らす。
とかく現代人は時間に追われストレスをためて、自分を見失いがちで幸せを実感できずにいます。
この状態を心身で説明すると、自律神経のバランスを崩しているという事になりますが、日頃から自分に対し「ゆっくりゆっくり」と言い聞かせて、本当にゆっくりと穏やかに暮らしたいものです。

森伊蔵

幻の焼酎「森伊蔵」

親しくしてくださっている檀信徒から戴きました。
なかなか手に入らないものと聞いていて、一度は口にしてみたいと思っていました。思いもよらない贈り物に感激しています。

葬送儀礼所感その11

阿弥陀仏のことを“不可思議光如来”とお讃することがあり、また“無量寿光如来”といっていただくこともあります。
いずれも“光”を重んじています。そして阿弥陀仏から照らされる真実の光明は十二の働きがあると「正信念仏偈」に説かれています。
無量光…はかりなきひかり
無辺光…ほとりなきひかり
無碍光…さえぎるものなきひかり
無対光…ならびなきひかり
炎王光…このうえなきひかり
清浄光…きよらかなひかり
歓喜光…よろこびのひかり
智慧光…ちえのひかり
不断光…たえることなきひかり
難思光…おもいをこえたひかり
無称光…ほめつくせないひかり
超日月光…にちげつにこえたひかり
このような、極めてありがたい光明に照らされているのが私たちです。この光を感じることことができるようにするのが供養です。

臨床宗教師

臨床宗教師の全体フォローアップ研修です。
医療や福祉の現場で宗教者ならではの支援を行うのが臨床宗教師です。
宗教者ならではの支援とは、宗派の教義で教化するのではなく、人々の信仰を優先し、その人の宗教的価値観の範囲で、大いなるの者との繋がりをともに模索することにあります。
そのような支援で人々の苦悩や悲嘆に寄り添うには、まずは宗教者が自分自身の内面の奥深くまで入り込み、自分の苦悩や悲嘆に向き合わなくてはなりません。
そのようなトレーニングプログラムが今回のフォローアップ研修となります。

龍谷大学にて

ひな祭り

介護施設ではおひな様をお飾りして祝っております。
高齢者もおひなさ様をみて、幼き自分の思い出を巡らして心穏やかになってくだされば嬉しい限りです。
私たちは、『今』にしか喜びを感じることができません。
「その瞬間を生きる!」ことはとても大事なことです。
しかし、どのように生きてきたか、どのような素晴らしい体験をしたか、宝物のような思い出がどれくらいあるか、このことは、『今』をどのように生きるのか、を支える重要な要素になります。
一説には、人の脳は、辛い思い出も徐々に美しい思い出に変える働きをするといわれています。
一方で、悲しい思い出や辛い思い出があるから、美しい思い出が際立ってくるともいえます。
どのような人にも、純真で愛らしい幼き時代がありました。
この世に生をうけて、美しい思い出を重ねてきた人生。
「人生〜って嬉しいものですね〜♬」美空ひばり 愛燦燦

施設長

この度2月26日付で、お寺の介護はいにこぽんのいえ(サービス付き高齢者向け住宅)の施設長となります。
そもそも、介護福祉部長として全体を統括していますが、今回この高齢者住宅の運営強化のため部長と施設長の兼務となります。
この世には、一人一人の人間に何かの役割が決められていて、それは社会や組織が決めているといえますが、もっと違う存在が道しるべを引いているとも感じます。
私の場合、やめようと思っていてもその方向に引っ張られたり、巻き込まれたり、自分の意思であるにも関わらず、なぜか自分の意思ではないような気力が起こってそこに居続けたり、よくよく考えれば、この役割を決める根源には何があるのでしょうか。特に宗教や福祉などでは慈善意識がないとその本質が理解できないといえます。「人はなぜ人を助けるのか」この感性は社会や組織によって形作られるのではなく、潜在的な慈善意識がそうさせていて、この潜在的慈善意識は、自分がそこから逃げたいと感じていても、それを許さなかったり、思ってもいない力を与えたりするのではないでしょうか。

葬送儀礼所感その10

大方の人たちが考える死は、おそらく「死は一巻の終わり」と言うべきだろう。
ただ、この事実をどう受け止めるべきなのか。
その本質について、一体どう考えるべきか。
死は本当に悪いことなのか。
永遠に生きる方が良いのか。
死を恐れるのは適切か。
避けようのない最後が待っていることを知っているのなら、その知識に照らしてどう生きるべきなのか。
〜シェリー・ケーガン/紫田裕之訳(2018)「死とは何か」文教社〜

死は本当に一巻の終わりなのだろうか…
終わりとは何を持って言うのだろうか…
では延々に生きることができたとして、それが私たちが求めていることの本質なのだろうか…
私たちは死の恐怖に打ち勝つことができるとして、それには何が必要なのか…

思索は尽きない

葬送儀礼所感その9

人は死んだらどうなるのか?

この問いを真剣に考え深めた場合、生きるとはどういうことか?私は何者か?を突き詰めなくてはならない。それはどういうことかというと、死んだらどうなるか、という問いは、死んでもなお存在するための〝魂〟はあるのかどうかを理詰めで解答しなくてはならないからだ。

魂は、身体の中に内包されたものであれば、身体が滅すると同時に魂も滅すると考えるべきだろう。故に死後も存在する魂は身体と別に非物質的であらなければならない。それは一体どのようなものなのだろうか。

私の意識は魂として身体の外で存在することができるのだろうか…

一つ言えることは、魂は有ると結論づけるには相当に困難である。しかし魂は無いと、目の前の事象にのみ真実が見出せない程度の思考で納得しているようでは、いずれ訪れるであろう死の恐怖にもがき苦しむことになる。

したがって〝私の魂〟については死の間際まで問い続けなければならないのだ。

認知症予防運動セミナー

今や、介護が必要となる要因の第一は認知症です。
認知症発症の7割近くはアルツハイマー型の認知症で、その原因は「アミロイドβ」というタンパク質の異常の蓄積によるものとされています。
そして、アミロイドβの異常は50歳代から始まっているといわれています。
そのような認知症を予防する4つのポイント、1運動、2栄養、3認知機能、4社会性にあります。
認知症は決して高齢者特有のものではなく、中年期から生活習慣を見直さなければなりません。
今日は、特に「運動」についてクローズアップし、日常の暮らしに少しの変化を加えることで、認知症予防に役立つお話をセミナーでお伝えいたしました。

しまの日

最近は、日頃の業務に忙殺されて、大事な大事なしまの日を失念することがある。

決して忘れてなどは無いが、仕事などが理由で大事なことが見えていない証だ。

そのようなことも、しまが教えてくれている。

しま、ありがとう。