入浴介助

障がい者の入浴介助もだいぶ慣れてきた。が、
利用者さんとのコミニケーションが取れていないのはワテでも実感している。
ワテにまだまだ余裕が無く動きが硬いのだろう。
利用者さんもワテが相手だと辛いのかもしれない。
大阪の地も寒い夜になりそう。
でも、今夜も。。入浴介助。。心を込めて。。。

お坊さんヘルパーの特徴

利用者さんのご家族をお葬儀社さんへ案内。
利用者さん自身は、現在とてもお元気だが、
もしもの時どうしたらいいのか、
事前に知っておくことで、
ご家族の数ある不安要素の一つを解消できる。
利用者さんが安らかに旅立たれた後も、
しっかりとご家族に寄り添うことができるのも、
お坊さんヘルパーの特徴だ。

当たり前

春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて冷しかりけり 『道元禅師』
川端康成はノーベル文学賞の受賞講演の冒頭から
この歌を詠んだ
日本人の持つ自然に対するあの世感
当たり前のようにめぐる四季の情景
もしも、自分の命の時間が残りわずかになれば
この当たり前なことが
どれだけ幸せを与えてくれることなのかが
身にしみるであろう

悲しき玩具

「真夜中の出窓に出でて、欄干の霜に手先を冷やしけるかな」(11頁)
「何となく明日は良き事あるごとく、思ふ心を叱りて眠る」(25頁)
「夜おそく何処やらの室の騒がしきは、人や死にたらむと息をひそむる」(49頁)
「歌は私の悲しい玩具である」(136頁)

 石川啄木著。。。『悲しき玩具』

石川啄木著。。。『悲しき玩具』

他力信心

2015ー11/3
果たして、心から仏を信じることができるだろうか…
信じるという行為を徹底的に考察すればするほど、利己的な己が透けて見えてくる。
そもそも、信じ切れば「信じる」という言葉は要らない。
おそらく自分にはそのような信じ切る能力は無いだろう。
しかし、阿弥陀様はそのような私達のことをよく存じておられる。
なので、阿弥陀様の方から私達に信じる力を与えてくださる。
つまりこれが『他力信心』である。
信心とは起こすのではなく、与えられるものなのだ。
そうだ!!私も、娘たちに、父親を信じることのできる力を与えよう!!
結果、全拒否でした(-ノ-)/Ωチーン

南無阿弥陀佛

大事なお客様

2015ー10/27
昨日から明日にかけて、お寺で特別なお客様をご接待している。
3日間、お寺の細部にわたる様々なことをご案内しなければならない。
お寺という宗教法人には、国から定められた運営の規定があり、その規定に則した運営がなされているか、また、規定に則した申告がなされているかどうかを示す必要がある。
そのため、時に、お客様の鋭く厳しい質問に対し、動じることなく的確に、答えなくてはならない。
時に、解釈の違いで議論になることもある。自分の考えに引き込む時は、理論と整合性はもちろん、言葉の使い方、立ち位置や目線にも気を配りつつ、その考えがいかに信仰に基づいたものなのかを力説する。
と、かっこよくのたまいつつも、目を覆いたくなるような間違いや、弁明しようの無い抜け、また、こちらの目が点になる証拠の提示、さらには双方が閉口してしまうような爆弾事案の発見!
お寺から、この重大な役を命ぜられたことは光栄だが、しょせんワタクシごときでは、四名ものお客様にご満足いただけるようなお接待はできぬ。
よし!こうなったら、明日の最終日は、右の袖には勝尾寺の勝ちだるま、左の袖には明治神宮の成就おまもり、帯の中には唐招提寺の健康おまもりをしのばせて、
ご利益作戦でいくしかないな.…

無量寿仏

2015ー10/20
阿弥陀さまは本当に存在するのか…
阿弥陀仏のことを『無量寿仏』と称することがあるが、無量寿とは、永遠の命。
そして『無量寿光』とは、永遠の光。
つまり阿弥陀仏とは、永遠の命から放たれる慈愛に満ちた光であり、真理そのものである。
ええこと言うなああ〜

南無阿弥陀

夕日の向こうに西方浄土

臨床宗教師実習

2015ー10/15
お坊さんヘルパーがゆく!
お寺の介護はいにこぽんに、臨床宗教師研修の実習生が来た。
訪問介護の現場で、お坊さんヘルパーがどのように活動しているかを体験していただいた。日常の中に埋もれそうな利用者の苦しみ。身体介護や生活支援。
そして、魂のリハビリ。
介護の現場でも、介護の最前線こそ、臨床宗教師の果たす役割は大きい。