医学の知識

2013−7/5
病院内での傾聴について。東北大学の臨床宗教師研修では、傾聴においての注意点として、その地方の方言、町村の名称、地域の歴史、地元の風習などをしっかりと頭に入れて置いた方がなおのこと良いと学んだ。
傾聴移動カフェ、カフェ・デ・モンクの金田老師も被災地での傾聴は地元の宗教者がすることが理想だと述べられていた。
病院内での傾聴では、やはり地元ならではの話題が最も大切だ。
さらに病室内での傾聴において極めて重要なことは、その患者さまが抱えている病名や症状の知識の有る無しだ。
特定の病名を語って頂いても、それがチンプンカンプンであれば、
その先の話に繋がりにくい。病院で傾聴活動する場合に欠かせない最低限の医療の知識は、今後臨床宗教師として自主的に学習しなければならない。もちろん、医学的アドバイスなどするべきではないし、それは言語道断だ。
とにかく明日早速、初歩的な医学書を探しに行くべし!

次女8歳

Rizo鳴尾浜にて 可愛らしい次女

2013ー7/3
今日7月3日は、次女の8歳の誕生日だ!
普段は家内の手伝いや三女の世話係として奮闘している。
次女は、昨年の誕生日の次の日から、今日の誕生日を一番の楽しみにしてこの一年頑張ってきた。
果たして私は父親としての役割を全うしているのかな…
子供達から見て、私の背中はどう映っているのだろうか。
ともかく、今日は次女の誕生日を思いきりに祝ってあげるつもりだ。

傾聴活動

2013ー6/13
明日は、緩和ケアホスピスで傾聴活動です。
8:30から17:00までわりと長い時間関わらせて頂きます。
看護部長から「チームの一員として関わって下さい」と言われ、
今夜は身の引き締まる思いです。
この本を再読しながら明日に備えたいと存じます。

終の住処を考える

2013−5/12
仏教大学ビハーラ研究会通年テーマ「終の住処を考える」
第2回テーマ「介護施設は終の住処になり得るか」
先月の第1回も昨日の2回も、参加者が昨年度より5倍ほど増えたとのことで、人生の終え方に関する世間の関心の高さが伺える。
参加者は主に、病院や介護施設に勤務する職員や、現在自宅で家族の介護をしている方など。
参加者からの意見で特に印象に残っているのは、「すでに介護施設は終の住処としてなり得ている、したがって設題を『介護施設をどのような終の住処にするのかを考える』として、それには仏教が必要なのだから、そのことを教えて欲しい。」「安らかな最期を送れるからといわれて、どのようなすばらしい施設であっても行こうとは思わない。施設でも病院でも自宅でも、安らかに最期を迎えるためには仏教が必要。」「はっきり言ってお坊さんの怠慢。」
仏教大の研究会なので、仏教に対する意識が高い人がが参加するのは当然として、しかしここまで熱く仏教を欲しているとは、私の認識の低さで猛省に値する。
正直に告白すると、洋服を着ていても頭を丸め明らかに僧侶と分かるのは私を含めて4〜5名程度。「お坊さんもっとしっかりせな!」とご意見が出されるのに「私は僧侶ですが…」と自分の意見を主張するどころか、場の雰囲気にのまれ肩をすくめてしまった。
参加者の話をよくよく聞いていて感じたのは、観光地にあるような有名な古刹に参拝すること以上に、身近なお坊さんに『安らいだ言葉を語って欲しい』という願望が強いことだ。
叱咤激励中、叱咤九割、激励一割ほどの厳しさであったが、僧侶はお寺から出て、人と交わり人と関わりもって、聴いて、聴いて、語り、語りながら、その言葉に磨きをかけなければならない強い再認識を得た。
とても有意義な研究会で、ありがたい感謝の時間であった。