押し花の法名立て

花供養のお寺として、境内で育てたお花を押し花にし、檀信徒さんのご両親の法名を記した和紙にあしらえ、額に収めてお渡しいたしました。
もちろん過去帳にも筆耕していますが、お仏壇とは別で、リビングなどに置いていただき、より身近に仏さまを感じていただければと思います。


52歳

おかげさまで本日52歳になりました。
世間ではこの年頃を〝初老〟と言うそうです。
やかましいわい!!
ワテは、まだまだ若い部類に属してんねん!
お参り先でも「若いお坊さんですね」ってお世辞言ってもらえんねんぞ!!
何が初老じゃい!
人生100年の時代、まだ半分過ぎたとこやで!
これから、これから。

あれ?ケーキが喉の器官に入って取れへん!
ケホケホ。
誤嚥やな…


正行経

汝が目を正しくせよ。
汝が耳を正しくせよ。
汝が鼻を正しくせよ。
汝が口を正しくせよ。
汝が身を正しくせよ。
汝が意を正しくせよ。
正行経

フムフム…

しかし、鼻を正しくせよ…かあ
奥深いな

お盆の風景

バイクに乗って一軒一軒お伺いし、みさなんと一緒にお正信偈をお唱えする。
毎年この時期お盆にあるあたりまえの風景。
でも今年は、このあたりまえなことが、いつもより増して何かすごく大切な
ことのような感じます。

あすからも心を込めて…

ワテの愛車


仏教の救済

新型コロナウイルスの猛威に世界中が混乱し、
多くの人たちが生活環境の激変に耐え忍んでいます。

このような状況で「仏教は何をしてくれるのだろか…」と
自問自答を繰り返しますが、正直なところ明確な答えは
浮かんできません。

仏教の本質は「自らの修練で悟りをひらく」ことにあり、
じつは、仏教の方からの救済はありません。

しかし、祈ったり拝んだり願ったりすることは、
人間の営みに不可欠な行為であります。
そのことで、救われる人が多くいるのも事実です。

現在のような不安定で困難なときは、
自宅で、手を合わせて静かに祈ることも大切であります。

少し優しく微笑んでいるように見える西宮坊のお釈迦さま

分岐点

人生には幾度となくあらわれる分岐点があります。
その後の人生に大きな影響を及ぼす分岐点にさしかかった時
必要になるのは決断力です。

決断を後押しするのは強い思いです。
運があるとかないとか、というより、
強い思いが運を呼び込むというべきです。
しかし、
だれもが強い思いを持っているわけではありません。
では、強い思いは、
どうすれば生まれるのでしょうか。

「凡事徹底」
だれもができることを
だれもができないほど徹底する

些細なことでも懸命に継続することで、
自然に生まれるのが強い心です。

かく言う、わたしは、
お仕事をサボりたいという誘惑との戦いに必要な強い心が欲しい…

空気清浄機

お葬儀の僧侶控室にて、
かわいらしい小型の空気清浄機は、
私が入室して間もなく、
「ぶぉぉぉぉぉ~~~~ん!!」
と轟音を立ててフル回転し出しました。
よくみると、感知式自動運転です。

何を感知したのか?
もしかして、
私は、そんなに空気を汚す男なのか?

私の名は〝よしだけいいち〟
イニシャルは〝KY〟
家内からはよく〝空気を読まない男〟
とお叱りをうけますが、
〝空気を汚す男〟とは思いもよらぬダメ出し。

あみださま
どうか、私めを清浄してやってくださいませ。

「清浄光明ならびなし!!」

ぶぉぉぉぉぉ~~~~ん

あみださま・その2

イラストレーターの黒犬氏と
〝あみださま〟のキャラクターについて雑談。

あみださまと大阪のおばちゃんをかけてみれば
斬新で身近なあみださまになるのではないか!?

ゴリゴリの関西弁で、
「あんた、しってるかぁ?」
と仏教豆知識を披露したり、

「正座して足しびれた?どれ、見してみぃ」
とおせっかいをやいたり

「あんた、これ食べていき!」
とお供え物をくれたり

「仏はほっとけ!!」
などのしょーもないダジャレを発したり

そんなこと考えていたら、
あみださまの頭(螺髪・らほつ)も
おばちゃんパーマに見えてきた!

ほんとうにすみません…
決して悪ふざけではありません…
親しみやすいあみださまを
模索しているのです…
(-ノ-)/Ωチーン

あみださまから教授してもらっている西西くん

あみださま

ちいさな子供たちからみたあみださまは、
なんでも願いを叶えてくれる〝神さま〟
みたいな存在です。

「どうか、ジェイボードで転けませんように…」
「どうか、晩ごはんは焼肉に行けますように…」

微笑ましいかぎりです。

三女があみださまを描きましたが、
庶民的なあみださまです。

味わい深いあみださまです

お布施40万から80万!?

NHK朝の番組で葬儀に関する特集があり、
葬儀の際お寺に収めるお布施が
全国平均40万から80万だと示されたそうだ。
だとすると当寺は全国平均から
だいぶだいぶ下の方に推移することになる。
実は、私のところには、他寺のお布施が高くて
支払うことができず困っている、との相談が多くある。
私自身の金銭感覚からしても40万といえば大金だ。
大切な家族が亡くなったとはいえ、
それは苦しい出費だと私は思う。
お布施は、収める側が主体でなければならない大原則がある、
「40万を収めたい」と思う人は、
それは本当に素晴らしいことである。
でも「10万を収める」という人も、
同じく素晴らしいことなのだ。
それがお布施というものである。