フランシスコ・ザビエル

2015ー5/24
フランシスコ・ザビエル
ザビエルに対して、事前に日本のことを色々教えた男「アンジロー」。アンジローは、キリスト教の神『デウス』を『大日』と訳して、ザビエルもそれを採用した。
影の立役者「アンジロー」…

アンジローに想いを馳せるワテ…
ワテならなんて訳しただろうか…
光願  慈照  永救  敬一  出有守  霊機…
アカン、どれもイマイチだ。

デュルケム

2015ー5/5
デュルケムは、犯罪は必然性と必要性がある説く。どんなグループにも規範とそれに対する逸脱が起こる必然性があり、
逸脱には潜在的(目に見えない)機能(約に立っている)という必要性があると。

親鸞聖人は御身を「愚禿親鸞」と称して悪人正機を御説きになられた。
両説に共通する点は、善悪は恐ろしい程に表裏一体で善があればある程悪も生み出される。

何が善で何が悪なのか!?
ワテ、今晩寝られへんやん…

霊操と念仏

2015−4/21
イエズズ会『霊操』の本質は祈りと黙想と聞いた。
浄土真宗には『念仏』がある。
我が心身を、大いなるものへと浮き上がらせるように委ねていく感覚。
…仏凡一体…
これまさに苦悩を除く法の示現。
霊操も念仏も地脈では繋がっているのか。
今宵はじっくり黙念せざるを得まい。

南無阿弥陀

マックス・ウェーバー

2015ー4/3
ここ数日、夜は自宅でマックス・ウェーバー漬け。
とはいえ精読の間には、休憩用の文庫もチラ見。
でもよく考えたら、休憩用にこの文庫をなぜ手にしたのか?
もしや、無意識の間に、ウェーバーのいう『世俗内的禁欲』がワテの中に入り込んだのか!?

恐るべしウェーバー…

写真が語る現代人の絆

2013ー7/6
今日は法務の合間に、医学辞典などを探し行く予定であったが、
先日発注した本が届いたとのことで、医学辞典は諦めた。
届いた本には、東北大の鈴木岩弓教授が執筆された『写真が語る現代人の絆』という章がある。
我々も法務活動の中で、御本尊より故人の写真の方が奉られている場面に多く遭遇する。
その良し悪しではなく、民俗学、民族宗教学的な考察を、例えば「団塊の世代とカメラ界の主な動向」と言ったカメラや写真が人々に与えた影響を時間軸によって表していたりする。
民間信仰と聞くと、地蔵尊や自然崇拝的などこか遠い昔の郷愁をイメージしてしまいがちであるが、表面上は無宗教時代と言われる現代にも、現代の民間信仰が沸き起こってきているのではないか。
その辺りを踏まえて興味深く読ませて頂きたい。

読み書き問い

「読み」「書き」「問い」三要素の中でも「書く」時が一番たいへんだ。
考えが深まるって考えすぎれば、無駄で余計な事ばかり書いている。
考えない方が良いかというと、それはそれで薄っぺらい。
思考は深めながら極めて自然な状態で書くことが果たしてでけるかどうか。
このような脳の状態を「アルファ波が出ている」という。
実は、僧侶の瞑想中も脳内では「アルファ波が出ている」状態だ。
体は超リラックスして半分寝ているに等しいが、頭は冴えまくっている状態。

この夢のようなタイミングで書きたい大事なリポート。