イラストレーターの〝黒犬洋平さん〟に来寺していただき、西宮坊のパンフレット制作の打ち合わせとともに写真撮影を行いました。
Iphoneで撮影した画像をアプリを使ってギャラリーにしてみました!
なかなかのものです。
楽しくなる仏教ブログ 〜らくぶつえ〜
イラストレーターの〝黒犬洋平さん〟に来寺していただき、西宮坊のパンフレット制作の打ち合わせとともに写真撮影を行いました。
Iphoneで撮影した画像をアプリを使ってギャラリーにしてみました!
なかなかのものです。
11月にもなりますと、西宮坊は秋を装いはじめます。
木々は赤や黄にほんわりと変色し、土も硬くなって、風も冷たく感じるようになります。
若い時に感じていた秋は、単に夏と冬の間で、地味で退屈な季節といった印象ですが、中年真っ盛りの今感じる秋は、まさに老年期をはじめる自分自身のような愛おしさがあります。
私こと吉田敬一は、ついに50歳になり申した。
これからの時代は〝人生100年〟と言われはじめたが、それからすると、私の人生は今でようやく半分である。
ここからの人生は、じっくりと構えて、それでいて型にはまらず自由自在に楽しむつもりだ。
さて人生をおもいきり楽しむためには、何がもっとも大切なのだろうか…
家族…お金…仕事…時間…どれをとっても大切だ。しかしこれらのすべてを、人が羨むほど手にしていたとしても、それを感謝できる心を持ち合わせているかどうかが、人生を大いに楽しめるか否かとなるであろう。
今日からは、何かにつけ口を開けば「ありがとう」と言いまくろうではないか。
「七種施ありとも。財を損ぜずして大果報を得ん」
……雑宝蔵経
お布施といえば、お坊さんに対する謝礼といった意味で捉えられていますが、本来は、他人に施すことで徳を積み自らの人柄を育てることにあります。
施しといってもお金だけではありません。
「無財の七施」
一・眼施(げんせ)優しい思いやりのこもった眼で見る
二・和顔悦色施(わげんえつじきせ)穏やかで気品に満ちた表情を心がける
三・言辞施(げんじせ)優しく美しく正直な言葉を話す
四・身施(しんせ)人が嫌がることでも身をもって尽くす
五・心施(しんせ)他人に対し常に礼儀を尽くす
六・床座施(しょうざせ)他人のための席・居場所を居心地よく整える
七・房舎施(ぼうしゃせ)他人のための家や部屋を最適な環境で保つ
このように、布施とは他人に対する慈愛に満ちた自分の態度を表すことであって、そのような自分の人柄によって、世間様から幸せを恵んでいただくための行いであります。
現代社会の生きつらい中で、今一度考えさせられる教えです。
あけましておめでとう御座います!
本年も皆様と共に法縁に恵まれつつ、穏やかな一年となりますよう心より念願を致したく存じます。
年賀状にありますように、本年私は満50歳になり、西栄寺に入寺20年の節目を迎えます。
何事にも感謝の気持ちを忘れずに、少しでも皆様のお役に立てるよう精進を尽くしたいと心を強くしている次第で御座います。
本年も、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
いよいよ冬の寒さが本格的になってきました。
とはいえ、つい先日は初夏日和に等しい暑さの日もありました。
昨今の天気はよくわからないといいますが、12月ともなると、やはり寒い方が季節感を感じて心地よいです。
春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて冷やしかりけり
これは永平寺・曹洞宗の開祖「道元禅師」の詠まれた句ですが、川端康成がノーベル賞の文学賞を受賞した際のスピーチで引用するほど、日本の美しさを見事に表した名句であります。かく言う私も何かにつけてこの句を引用し、法話やセミナー、執筆などを通して大切にしています。
日頃、このような当たり前のことに感動することは滅多にありません。でも当たり前のことが何よりも大切で幸せなことであります。大雪という暦の変わり目に幸せを実感したいものです。
冬寒き 懐寒き 大雪や
吉田
西宮市役所本館の1階に飾られている西宮市鳥瞰図を閲覧。
面白いのは西宮市全域を越えて東は富士山や東京、西は門司や福岡までがデフォルメされて描かれていること。それから興味深いことは、西宮市内のランドマークとしてお寺の名前が記されていること。このことからお寺の役割りを読み取ると、お寺は地域住民のために地域住民による互恵的な福祉価値の交流を産む地域の中心的存在であるべきだ。
残念ながら当西栄寺は新参者ゆえ、この図には記されていないが、お寺の社会的資源を命題とした挑戦は先頭で奮闘をする決意だ。
思えば平成11年に西栄寺に入寺し来年がちょうど20年になります。しかし来年は平成ではありません。新しい年号の元年になります。そしてさらに来年で私は満50歳です。そう考えると私の人生、来年からは新たな挑戦の開始となります。
禅の世界には「百尺竿頭に一歩を進む」という言葉がありますが、これまでに最大の努力をしてきたとしても、さらにもう一歩進む、という意味です。
この禅語を側に上げ、私の人生で迎える50歳代の10年、そして新しい元号の中で、僧侶としてどこまで出来るか、大いなる挑戦です。
『我行精進 忍終不悔』 。。讃仏偈
行く道は精進して 忍びて終わり悔いなし
月日の流れは早いものです。歳を重ねるほど痛感します。
平家物語には「盛者必衰」とありますが、それもまた、秋が紅葉するように美しいことなのかもしれません。
西国二九番・青葉山松岡寺にはt次のような戒めが言い伝わっています。
「老いの戒め」
一、紅葉は春の花よりも更に趣あり、若きより老いて後人間は円熟す、晩成すべし
二、昔日を自慢すべからず、人の価値は今日に定まる、励むべし
三、余命少なき一日は、若き日の十倍の価あり、慎むべし
四、世間に陰徳の種子まけば、家門に陽報の花咲かん、努むべし
五、いまだ死を免れたるものはあらず、迎えのある時は、安んじて旅立つべし
毎日を丁寧に生きて、自然の摂理を素直に受け入れて委ねていくことが肝要かと
感じています。
西宮の念仏道場は、雨が降れば植物が生き生きとします。
私たち人間は雨を少々鬱陶しく感じますが、本来雨は自然からの恩恵なんですね。その様子が見てとれる念仏道場の雨が私は大好きです。
「草木国土悉皆成仏」“そうもくこくどしっかいじょうぶつ”
草や木、土のなかの微生物にいたるまで全ての生き物には“仏”が宿っています。
そして、そのような有難き植物を摂取して生きているのが私たち人間です。
生かされていることの感謝を忘れてはなりません。
合掌