しまの日

今年さいごの〝しまの日〟だ。
来年は10年目になる。
でも、想いでは色あせていない。
抱っこしている感覚も残っている。
匂いも残っている。
声も残っている。
手のひらの形もはっきりと覚えている。
今も近くにしまがいると…感じる。

今年の総括

今年は〝令和元年〟の暁と伴って、
私にとっては〝50歳〟になったことと、
〝西栄寺入寺20年〟さらに
〝お寺の介護はいにこぽん〟を起こして5年
という三つの大きな節目の年であった。

さて、人として50年、僧侶として20年、
お寺の介護福祉部長として5年の私は、
どれほどの人間なのだろうか。

現在は、責任ある立場に就き、職員を束ね、
私の意思が事業部の運営に大きく影響する。
この状況は相応の努力があってのことと、
一応は自己評価できる。

けれど、今の状況をよくよく考え巡らしてみると、
このような結果を作り出したのは、
周りの人たちや環境が素晴らしい故だと気づかされる。

これからは、周りの人たちや今の環境に、
心底感謝できるかどうかが、私の最大の課題である。

私の人生、だいぶ時間が掛かったが、
生きている意味が見つかったような気がする。

中学連合体大会

西宮市の中学生はこの時期、なんと!あの甲子園球場で体育大会を開催するのです!
市内の全中学校が一同に会し、組体操やダンスを学年別で披露し、400Mリレーや1500Mは各学校の選抜された生徒が男女別で駆け抜けます。
甲子園のスタンドは、この日をとても楽しみにしていた親御さんたちで盛り上がっています。
体育会のクライマックスは、全中学校が順番に校歌を大合唱し、その姿はまさに〝青春〟そのもので、大会をお通して最も感動的なシーンです。

(ハッシュタグ#️⃣中連体)https://twitter.com/hashtag/%E4%B8%AD%E9%80%A3%E4%BD%93

しまの日

3月19日はしまの祥月命日です。
しまが旅立って9年経ちました。
ことしは、
しまが旅立ったあとに生まれた三女が、
しまとおなじ年令になります。
いまの私たちがそれ相応に暮らしているのは
まちがいなくしまのお陰だと感じています。
しまさん、ありがとう。

しまの日

最近は、日頃の業務に忙殺されて、大事な大事なしまの日を失念することがある。

決して忘れてなどは無いが、仕事などが理由で大事なことが見えていない証だ。

そのようなことも、しまが教えてくれている。

しま、ありがとう。

七五三

子供たちの成長は早いもので、幼児の成長を祝う我が家の神事は、三女の七歳参りで満願となります。
「えっ!お坊さんが神事!?」と思われるのもごもっともですが、子供たちには色々と経験をさせてやりたいと思う親心であり、その上で、もう少し大人になってから、自分の考えで、仏教や宗教と向き合って欲しいと考えています。私自身がそうであったように。
『神社は七五三で通い、 青春の時代には教会で賛美歌を歌い、大人になってようやくお寺で人生を思索する。』という言葉がありますが、私たち日本人は、自然に対する感覚が特に洗練されているように思います。
その感覚が神や仏の習合として繋がり、さらに宗教の教義に縛られることのない
その地域に根ざした民間信仰となって生活に密着しています。よくよく考えれば、日本人は、無宗教でも無信心でもなく敬虔な民間信仰の信者なのですね。

次女と三女がお参り

しまの日

小学1年生のしま

19日は“しま”の日です。

私が現在のように僧侶でありながら、介護福祉士や臨床宗教師として、活動している原点には“しま”の存在があるからです。“しま”は多くの支援をいただきながら命を輝かすことができました。そのご恩に報いるために、同じ社会福祉の中で支援活動を実践することが、一つの供養のあり方だと考えています。

ついにきた!ハロウィン!

ハロウィンと聞いて思い出すのは、
緩和ケア病院で傾聴活動をしていた時、ハロウィンの飾り付けを見た患者さんと奥さんの会話です。
患者さん「これなんや?」
奥さん「外国の地蔵盆や!」
私の心「納得!感激!」

けれど、最近の子供達には地蔵盆よりハロウィンの方が圧倒的に人気ですね。
我が家の三女もせっせと飾り物を自作していました。

三女

子供の成長は嬉しい反面、切なくもある。
このような幸せな時間が永遠に続けばいいなと思わずにはいれない。
三女は、家族の中でもっとも冷静に家族間のバランスを分析して、その場に応じた態度で接することができる。
なによりも次女のことが大好きで、いつも甘えている。
ときとしてケンカもしているが、次女の方が、すぐに謝っているようだ。
とにかく、次女も三女も、亡き長女に見守られながら素晴らしい人生を送ってほしいな。