テレビの取材

先日、テレビ局の取材依頼が2件続いた。
いずれも、私が東北大の臨床宗教師の第一期生で、現在は緩和ケア病院で傾聴活動をしていることを取り上げてのことだ。
テレビに取り上げて頂くのは理屈抜きに嬉しいことだが、私は意を決してそのご依頼を断った。
私ごときが、テレビに映ることなどもう二度と無いだろうけど、今回は涙をのんで断った。
その理由は、今日の『聞き屋』活動でも明らかだった。詳しく記述することはできないが、今日も患者様から『いのち』について、かなり深いところまでお話をお聴きすることが許された。
その患者様と、そのところまで話を深めるには、 私の方もお話をお聴きする姿勢を保つだけで、汗がしたたり落ちる程の集中力が必要だ。
けれど、そういう場面にカメラが入るとなると、患者さまのお話やお気持ちに著しく邪魔になるのは目に見えているし、私自身も相当意識をしてしまうのも明白だ。
それでは、患者様の大事な時間を私の都合で奪ってしまうことと同義である。
緩和ケアホスピスに来た患者様方々は、残されたいのちの時間に重大な決断を下された方々であり、私たちの想像を絶する覚悟を決めて来た方々であり、私の取材などどうでも良い。
それでも取材が許されるとするなら、患者さまが主になり、いのちに向き合い、人生を見つめ直す寡黙なお姿をとらえるべきだ。

今日19日は、長女の月命日だが、去年の5月19日に緩和ケアホスピスに問い合わせて6月から活動を開始した。
もう少しで一年をむかえようとしている。

新聞

『聞き屋』お坊さんと話しませんか! の活動が読売新聞に取り上げられました。

一番嬉しかったのは、お寺のご近所さんが、
その新聞を一束も、買って持参下さった事です。
こんなにもありがたいことはありません。
恐悦至極に存じます。

終の住処を考える

2013−5/12
仏教大学ビハーラ研究会通年テーマ「終の住処を考える」
第2回テーマ「介護施設は終の住処になり得るか」
先月の第1回も昨日の2回も、参加者が昨年度より5倍ほど増えたとのことで、人生の終え方に関する世間の関心の高さが伺える。
参加者は主に、病院や介護施設に勤務する職員や、現在自宅で家族の介護をしている方など。
参加者からの意見で特に印象に残っているのは、「すでに介護施設は終の住処としてなり得ている、したがって設題を『介護施設をどのような終の住処にするのかを考える』として、それには仏教が必要なのだから、そのことを教えて欲しい。」「安らかな最期を送れるからといわれて、どのようなすばらしい施設であっても行こうとは思わない。施設でも病院でも自宅でも、安らかに最期を迎えるためには仏教が必要。」「はっきり言ってお坊さんの怠慢。」
仏教大の研究会なので、仏教に対する意識が高い人がが参加するのは当然として、しかしここまで熱く仏教を欲しているとは、私の認識の低さで猛省に値する。
正直に告白すると、洋服を着ていても頭を丸め明らかに僧侶と分かるのは私を含めて4〜5名程度。「お坊さんもっとしっかりせな!」とご意見が出されるのに「私は僧侶ですが…」と自分の意見を主張するどころか、場の雰囲気にのまれ肩をすくめてしまった。
参加者の話をよくよく聞いていて感じたのは、観光地にあるような有名な古刹に参拝すること以上に、身近なお坊さんに『安らいだ言葉を語って欲しい』という願望が強いことだ。
叱咤激励中、叱咤九割、激励一割ほどの厳しさであったが、僧侶はお寺から出て、人と交わり人と関わりもって、聴いて、聴いて、語り、語りながら、その言葉に磨きをかけなければならない強い再認識を得た。
とても有意義な研究会で、ありがたい感謝の時間であった。

結婚披露宴

2013−3/16
今日の結婚披露宴、お隣は女性の牧師様でした。
新郎新婦ほったらかして宗教間対話で盛り上がりすぎました。
牧師様の教会ではこの後、若手信者が集いお好み焼きパーティーだそうです。めっちゃ参加したい~!
でもお知り合いになったばかりなので今後少しづつにします!
今日は家内も一緒です。何年かぶりに………