中学連合体大会

西宮市の中学生はこの時期、なんと!あの甲子園球場で体育大会を開催するのです!
市内の全中学校が一同に会し、組体操やダンスを学年別で披露し、400Mリレーや1500Mは各学校の選抜された生徒が男女別で駆け抜けます。
甲子園のスタンドは、この日をとても楽しみにしていた親御さんたちで盛り上がっています。
体育会のクライマックスは、全中学校が順番に校歌を大合唱し、その姿はまさに〝青春〟そのもので、大会をお通して最も感動的なシーンです。

(ハッシュタグ#️⃣中連体)https://twitter.com/hashtag/%E4%B8%AD%E9%80%A3%E4%BD%93

秋の西宮坊

11月にもなりますと、西宮坊は秋を装いはじめます。
木々は赤や黄にほんわりと変色し、土も硬くなって、風も冷たく感じるようになります。
若い時に感じていた秋は、単に夏と冬の間で、地味で退屈な季節といった印象ですが、中年真っ盛りの今感じる秋は、まさに老年期をはじめる自分自身のような愛おしさがあります。

緒方貞子さん

わたしが、はじめて〝緒方貞子さん〟の名前を知ったのは、2001年に小泉政権が発足し、外務大臣に田中真紀子氏と緒方貞子氏が候補に挙がっていると聞いたのが初めてでした。
それ以来、国連難民高等弁務官の緒方貞子さんに関する事柄に強く興味を持つようになりました。
あるとき、西栄寺の代表住職と東京新宿に出かけた折、幸運にも緒方貞子さんとすれ違ったわたしは、興奮し、握手を求めに追いかけ快く応じていただいた経験の持ち主であります。
緒方貞子さんは、とても小柄で温和な雰囲気からは想像すらできない強い人で、世界各地の紛争地帯でテロ組織や武装勢力と粘り強い交渉の末、難民と呼ばれる人々に対する人道支援を実行し、日本の誇りだと評する人々も多くいます。

そのような緒方貞子さんの著書「私の仕事」草思社2002から
「人間は仕事を通して成長していかなくてはなりません。その鍵となるのは好奇心です。常に問題を求め、積極的に疑問を出していく心と頭が必要なのです。仕事の環境に文句を言う人はたくさんいますが、開かれた頭で何かを求めていく姿勢がなければなりません。」

にこぽん全体研修

お寺の介護はいにこぽん秋の全体研修を実施しました。
今回は、いつも通り西淀病院さんからドクターをお招きしての講義と、
にこぽんでは初の試みとなる〝グループワークを〟行いました。
スタッフ皆、積極的に意見を述べて意見交換ができました。
何よりの収穫は、普段、業務上あまり関わることのないスタッフ同士が
しっかりとコミニケーションを取れたということです。
もちろんそこには、お坊さんヘルパーも参加しています。
これこそが、お寺の介護はいにこぽんの特徴です。

こころ塾

西栄寺本山住職の山田博泰先生の「こころ塾」に、来月はいよいよ私も出演が決まりました。
以前より介護福祉士の僧侶として、からだのリハビリはもとより、こころのリハビリに力を入れて取り組んできた中に、こつこつと〝介護セミナー〟〝認知症セミナー〟〝予防介護運動セミナー〟〝アクティブシニア セミナー〟などの講演を実施してきたこともあり、このたびは満を持して大本山お膝元での講演となりました。

とかなんとか少し大げさな前文になりましたが、いつものとおり、わかりやすさと簡便さを大切にしてお話を作るつもりです。

こころ塾のチラシ

ついに50歳!

私こと吉田敬一は、ついに50歳になり申した。
これからの時代は〝人生100年〟と言われはじめたが、それからすると、私の人生は今でようやく半分である。
ここからの人生は、じっくりと構えて、それでいて型にはまらず自由自在に楽しむつもりだ。

さて人生をおもいきり楽しむためには、何がもっとも大切なのだろうか…
家族…お金…仕事…時間…どれをとっても大切だ。しかしこれらのすべてを、人が羨むほど手にしていたとしても、それを感謝できる心を持ち合わせているかどうかが、人生を大いに楽しめるか否かとなるであろう。

今日からは、何かにつけ口を開けば「ありがとう」と言いまくろうではないか。

この写真は47歳のもの。
今はもう少し老けた。

八月

暑い!
とにかく暑うございます!

「天地と我と同根、万物と我と一体なり」
これは、中国の古い教えですが、
今日の暑さにかけて端的にあらわすと、
「このくそ暑い元は、私自身にあり、
このくそ暑さの正体は、私自身である。」
と、まったく受け入れられない教えであります。

しかし、暑さを感じているのは、私自身であるのは、
否定しようのない事実。

ううう、なるほど…

暑さを避けてすだれの内側で涼む蝉

葬送儀礼所感その19

葬儀の際、祭壇にたくさんの色花で飾ることを「供華」といいます。
華は人生に例えると「完成」を意味して、華を供えることは人生の完成を表すことです。さらに私たちは、理屈ではなく無条件で華を好み、華に多くの意味を持たせます。
「仏説阿弥陀経」には、極楽浄土では「大きな蓮の花から、青い光や黄色い光、赤い光や白い光が美しく光り、とても芳しい香りを放っている」と説かれています。
蓮の花は、泥の中にあって美しく咲く花として、「この世の五濁悪世でも蓮のように美しく生きなさい」という仏さまからのメッセージを持っています。しかし、時がたてば美しい蓮も朽ち果ててしまいますが、花の実の中では、また次に咲くための種が内包されています。そのようにして花のいのちは永遠に繋がっていきます。
この、美しいいのちのつながりを〝あみだ〟と称え奉るのが「供華」の本来であります。