
最近は、日頃の業務に忙殺されて、大事な大事なしまの日を失念することがある。
決して忘れてなどは無いが、仕事などが理由で大事なことが見えていない証だ。
そのようなことも、しまが教えてくれている。
しま、ありがとう。
楽しくなる仏教ブログ 〜らくぶつえ〜
最近は、日頃の業務に忙殺されて、大事な大事なしまの日を失念することがある。
決して忘れてなどは無いが、仕事などが理由で大事なことが見えていない証だ。
そのようなことも、しまが教えてくれている。
しま、ありがとう。
幸せを突き詰めると人生は〝苦〟に行き着きます。
なぜなら、どんなにしあわせな人生であっても〝死〟で終わるとなると、それは極めて恐ろしく苦しい道のりです。
どのような宗教も〝死〟という〝苦〟の存在が根本にあり、その苦に対して、私たちがどのように考えるのかを問うのが宗教です。
「人はなぜ死ぬのか…」
それは、生きるという苦から解き放たれるためであると考えます。
そして、葬送儀礼において重要なことは、阿弥陀如来の本願の中に、あらゆる時代の人々が等しく摂め取られていることが明らかにされていることを故人とともに聴くことにあります。
身体の健康はもちろんですが、心の安定にも大きく影響するのが自律神経です。
自律神経には交感神経と副交感神経があり、これらのバランスを整えるのが心身ともに大切です。
ではどのように整えるのでしょうか。
一言でいうと「ゆっくり」です。
何かにつけて、私たちは忙しく暮らしていて、どちらかというと交感神経優位な状態で過ごしています。従って「ゆっくり」を意識的に行えば副交感神経が働き、自律神経のバランスを保つことができます。
忙しく感じている時ほど「ゆっくり」を意識して、自分に言い聞かせましょう。
でも忙しいそうな人を見かけて「ゆっくり」と声をかけても「うるさい!」と言われかねません、特に家庭の奥様や職場の女性スタッフなどに親切心で声をかけても、恐ろしい結果を招くことになりそうです。ご注意を…
参考著書〜小林弘幸(2011)「なぜこれは健康にいいのか?」サンマーク出版〜
浄土三部経の一つ「仏説観無量寿経」の諸説を描いたとされる当麻曼荼羅は、中央に阿弥陀仏が鎮座し、左側はお経の序章〝王舎城の悲劇〟を表現し、右側は、極楽浄土に往生を遂げる十三観想法、下縁には九品往生が図示されています。
老病死の恐怖を極楽の存在を信じることで、救われようとした昔の人々。
今の時代に、極楽浄土が本当にあると信じ切ることができる人は少ないといえますが、昔も今も死の恐怖を克服する術はありません。
「人の命は地球より重い」
この有名な言葉は、ハイジャック事件の人質開放にあたり、当時の首相福田赳夫氏が呟かれたと伝わっています。
しかし、そもそも人の命に重みはあるのでしょうか。
人の命は地球より重い、と聞くとどこか聞きごごちが良くありがたく感じますが、命というのは、人だけではなくこの世に存在する全てに命があり、その命は遥か昔から網の目のように繋がっており、また未来に向けても命は繋がっているのです。
命というのは、私一人のものではありません。
命は永遠であり無限であります。
死というのは、永遠の命に戻ることです。
決して恐ろしいことではありません。
「七種施ありとも。財を損ぜずして大果報を得ん」
……雑宝蔵経
お布施といえば、お坊さんに対する謝礼といった意味で捉えられていますが、本来は、他人に施すことで徳を積み自らの人柄を育てることにあります。
施しといってもお金だけではありません。
「無財の七施」
一・眼施(げんせ)優しい思いやりのこもった眼で見る
二・和顔悦色施(わげんえつじきせ)穏やかで気品に満ちた表情を心がける
三・言辞施(げんじせ)優しく美しく正直な言葉を話す
四・身施(しんせ)人が嫌がることでも身をもって尽くす
五・心施(しんせ)他人に対し常に礼儀を尽くす
六・床座施(しょうざせ)他人のための席・居場所を居心地よく整える
七・房舎施(ぼうしゃせ)他人のための家や部屋を最適な環境で保つ
このように、布施とは他人に対する慈愛に満ちた自分の態度を表すことであって、そのような自分の人柄によって、世間様から幸せを恵んでいただくための行いであります。
現代社会の生きつらい中で、今一度考えさせられる教えです。
南無阿弥陀仏をとなえれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
喜びまもりたもうなり…和讃
阿弥陀とは、“計り知れない永遠の”と捉えて仏は“命”と見ます。
阿弥陀さまとは、これつまり“永遠の命”と解釈します。
永遠の命とは、命のつながりのことで、私たちの命は遥か昔から脈々と繋がってきた命であります。
地球が誕生し海ができ、微生物が生まれてから現在に至るまで、生きとし生けるもの全ての命は果たしてどれくらいあったでしょうか。
決して数えることはできない無数の命、この総称が“阿弥陀仏”と私は考えています。
最近話題の「命の回数券・テロメア」
テロメアは、人の寿命に大きく関わっているとされ、細胞の中の染色体の先端部分にある物質で、テロメアの不活性が、ガン発生の原因であったり、老化を早めたり、寿命を縮めるということがわかっているそうです。
このテロメアを活性させ健康寿命を伸ばす方法が盛んに研究されていますが、最近判明しつつあるテロメア活性方法のひとつに「瞑想」が効果抜群だそうです。
「瞑想」とは呼吸を一定に整え、心と頭の中を静寂に保つための行ですが、これはお釈迦さまが長年の修行で会得した悟りを開く方法です。
お釈迦さまは80歳まで生きられましたが、当時の80歳は超長生きと言っても過言ではありません。これはきっと瞑想によって、お釈迦さまのテロメアが活性化されていたと考えても良いのではないでしょうか。
これで、仏教は優れた健康法だということが証明されたわけですね。
まあ、私の場合は、知る人ぞ知る“迷走”の達人として崇められて!?いますので、ことさら動じることも御座いません。
(-ノ-)/Ωチーン
人間は死後、生まれ変わることができるのでしょうか。
大切な人を亡くした遺族の心情から察すると、亡くなった人はもう一度この世に生まれ変わってきて欲しいと願うものです。
例えば、故人のことに想い忍んでいると、窓際に雀が飛んできて、怖がりもせずじっとしてる様子などを見たとき「これは故人の生まれ変わりかもしれない」と感じるものです。
生まれ変わりが有るのか無いのかを知性で理解しようとしても、答えは出ません。
それよりも、亡くなった方の存在を身近に感じれるよう自身の感受性を高めていくことが、供養のひとついえるのではないでしょうか。
古代日本人より抱き続けている、この世界とは別の世界が存在するという「他界観念」。
それを〝天〟と呼び、また、〝極楽〟とも呼んで、いずれも人の死を界に到達すると信じられている。
宗教学では、この世と連続の認められる他界を「連続的他界観念」とし、この世とは連続せず、全く別次元で存在すると考えられる「断絶的他界観念」と、二つの観念が位置付けられれている。
仏教でもっとも語られる他界は、一切の苦悩から解き放たれ極めて安らかな場所「極楽浄土」である。