先般、滋賀県の三井寺にて実施された種智院大学・臨床宗教師養成講座についてのレポートが冊子となりました。どうぞご覧察ください。

楽しくなる仏教ブログ 〜らくぶつえ〜
先般、滋賀県の三井寺にて実施された種智院大学・臨床宗教師養成講座についてのレポートが冊子となりました。どうぞご覧察ください。
10月に入りました。
お盆が過ぎ、お彼岸が過ぎ、私にとってほっと一息つく10月です。
じっくりと日帰り温泉などで思いふけりたいものですね。
何気ない1日の中にも、多くの人と出会います。
たまたま立ち寄ったコンビニの店員さんも出会いの一つとしたら、
それはたくさんの人と出会っているといえます。
そのような多くの出会いには必ず意味があるとしたら、
もしも、前世でなんらかの繋がりのある人だったら、
と考えるとなんだか嬉しくなりませんか。
仏教の教えでも基本をなすのが、この「縁」にあります。
世の中のすべでの事象は過去現在未来の三世十方を貫く道理「縁」によって成り立っていて、その全ての結果に原因があり意味があるということです。
私と奥様が知り合って結婚に至ったのも意味があってのことなのです。
という話を奥様すると「そんな話無意味やし、まだ離婚するかもしれへんから結果出てません!」
今日も一日、深き尊きご縁に報謝の心で尽くしましょう…
サンパレス六甲さんにて「いつまで元気で若々しいアクティブシニアになろう!」と題したセミナーの講師を務めました。
僧侶であると同時に介護福祉士として学んだ予防介護の見知でお話をしました。
お客様は15名ほどの小さなセミナーですが、昼食もついているのに無料セミナーとあって、私自身が大満足でした。
介護の世界では、介護状態が重度化しないようにあらゆる施策をするのが、良い介護事業者であるとされ、この考えは以前に比べ変化しています。
以前は、重度要介護者に対する介護技術の評価が主流でしたが、最近は予防介護に主眼が置かれます。
アクティブシニア を目指す4つの原則
1・運動
2・栄養
3・認知
4・社会
個人的には、さらに第5の原則として「仏様のご利益!」を加えてありがた〜いお話にしたいものです。(^人^)ナンマイタァ
お寺の介護はいにこぽんの研修を実施しました。
10月から下半期ということもあって、今回の講師は私が受け持ちました。
「お寺の介護」というだけあって、お寺によるお寺らしい介護とはどのようなものか、「仏教は究極のサービス業だ❗️」と題して仏教的精神によって人に接することの大切さをお伝えした次第です。
お釈迦さまは、「自分が幸せになりたければ、まず他人を幸せにしなさい。なぜなら自分を幸せにしてくれるのは他人なのですから。」とお示しになられました。これを自利利他といって、仏教は究極のおもてなしとして実践できるというのが今日のお話の要点となります。
と、偉そうに宣っていますが、私自身が他人を幸せにしているのかどうか、このことを家内に聞こうものなら、すかさず鉄拳が飛んでくるのは間違いないでしょう。
本日9月9日は救急の日ではありますが、実は私の誕生日であります。
今日で49歳になります。
人生の半ばを過ぎてようやく、この先の人生見えてきたような気もします…
なーんて「四十五十は鼻垂れ小僧!」といわれますので、まだ私は幼児並みのスキルしか無いと思うべきで、「人生見えてきた」とは何をいきがってんねん!と考えるべきです。
まだまだ行わなければならない事山積で、人生の郷愁に浸っている暇はありまへん!
「凡事徹底」とは私の一番大切にしている言葉です。
誰もができることを誰もができないくらいとことんする。
いざ!五十代に向けて胸を張って進むつもりです。
いやはやこの度の台風はとんでもなかったですね。
被害状況は、西宮坊はそれほどでもありませんでしたが、家族が住まう自宅は停電と断水に見舞われて不便でした。
このような状況になって痛感するのが、 世の中の便利なシステムの中では、人の力は全く弱いものだということです。
自然の猛威にも弱く、人間自らが構築したシステムにも弱い。
だからこそ謙虚に、また、日常の暮らしをありがたく感謝し、社会に奉仕し神仏を称え奉らなければならないと意を強くする思いです。
8月はたったの一度もブログの更新ができませんでした。。。反省(-ノ-)/Ωチーン
今年のお盆参りは、日々全力投球の中、お寺に戻りましたら入浴と食事を済すや否や、、気を失うように床に治っていました。
しかし、9月に入り、8月を振り返りますと、 本当に多くの檀信徒さまとお話をするご縁をいただけたことに、充実感と幸せな気分で満たされます。
やはり人である以上、 人と接することが何より最大の喜びではないでしょうか。
「人は情けの下に立つ」と聞くと古臭い時代遅れなことわざに感じますが、ドライな格好良さを求めても結局はドライな自分を認めてくれるのは他人ですから、その他人がいなければドライもウエットも成り立たないわけです。
私はどちらかといえば、Greasy(グレイシー)でベトベトしたいやらしい人柄です…
子供の成長は嬉しい反面、切なくもある。
このような幸せな時間が永遠に続けばいいなと思わずにはいれない。
三女は、家族の中でもっとも冷静に家族間のバランスを分析して、その場に応じた態度で接することができる。
なによりも次女のことが大好きで、いつも甘えている。
ときとしてケンカもしているが、次女の方が、すぐに謝っているようだ。
とにかく、次女も三女も、亡き長女に見守られながら素晴らしい人生を送ってほしいな。
「お寺の介護はいにこぽんのいえ」の家族会です。
サービス付き高齢者向け住宅では、 年1回家族会を開催し、入居者さんとはもちろん、家族さんと職員の親睦を深めます。
私は、介護福祉部長という立場で家族会を運営しましたが、普段は、僧侶として西宮坊の法務を兼ねているため、介護業務の詳細な部分は、介護職員に任せる事が多く、そのためか、入居者や家族さんの笑顔は、普段身近に接する介護職員に向けられる事がほとんどです。
寂しいと感じること半分と、介護職員への頼もしさを感じること半分です。
しかし、密かに、私自身どちらかに専念するように考えを固めていかないといけない時期にきているように感じています。
江戸時代の禅僧、鈴木正三のことばに「仏法といふは、只今の我心をよう用いて今用に立てる事なり」とあります。
これは、何のために修行するのかと問うた時に、目的を遂げるための修行ではなく、修行そのものに意味があり、その姿がすでに仏であると理解できます。
僧侶であれ介護部長であれ、打算や利益優先では、いくら専念したところで真実の光は見えてこないし、いつまでたってもこん畜生の似非坊主が定位置になる事でしょう。
チーン!南無阿弥陀仏
とんでもない暑さが続いています。
兵庫県の豊岡では38.6度で全国一番だったらしいですが、わが西宮坊も、あまりの高温で本堂の冷房が効かない状態です。
さらに、僧侶が着る真っ黒の衣などの黒い衣装は、テレビ情報によると、 表面は場合によっては50度くらいまで上昇するそうです。
なんて恐ろしい…
「夏の小袖」ということわざがありますが、夏のお衣でも小袖なみの暖かさ!?
「夏布子の冬帽子」などのことわざもありますが、西宮坊の石段回廊に祀っている仏様も、どこか暑そうにされて居られる様子が気の毒でなりません。
合掌