西宮有馬坊に〝吉祥草〟の花が咲きました。
吉祥草は草深いところからそっと顔出す可憐な花で、
花が咲くと「良いことがある」といわれる縁起のいい花です。
花言葉も「祝福」「吉日」「祝意」などの心温まる言葉ばかりです。
「観音草」との別名もあり、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開かれたときに咲いていた花とも伝わっています。

楽しくなる仏教ブログ 〜らくぶつえ〜
西宮有馬坊に〝吉祥草〟の花が咲きました。
吉祥草は草深いところからそっと顔出す可憐な花で、
花が咲くと「良いことがある」といわれる縁起のいい花です。
花言葉も「祝福」「吉日」「祝意」などの心温まる言葉ばかりです。
「観音草」との別名もあり、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開かれたときに咲いていた花とも伝わっています。
秋は、花壇の植え替え時期です。
秋に植えた花は、冬の寒さに耐え、霜枯れの危険からも生き延び、来年の春までお寺の境内を華やかにしてくれる大切な存在です。
言うまでもないなく、花は生き物です。
私たち人間と何ら変わりない生き物です。
その尊い命を大切にお育てするのが〝花供養〟です。
何十年ぶりに赤とんぼを見つけました。
小学生の頃、無邪気に赤とんぼを追いかけて走り回っていたことを思い出し、心が温かくなる思いがしました。
幸せとは、何気ない日常に溢れていて、そのときはそれに気づかず、時が過ぎてのち、たまらなく愛おしく感じた想いでのなかに見つけることができます。
あのような輝かしい時間はもう二度とやってきませんが、それを寂しく思うのではなく、想い出を宝物にし、幸せは日常に溢れているという喜びを感じたいものです。
◉お寺の介護に関して新聞に掲載していただきました。
西栄寺・西宮有馬坊で花供養されているみなさま
今晩以降、大型の台風14号が近畿にも接近するにあたって、花供養の鉢植えは建物の中に安置して危険を回避していますのでご安心ください。
なお、境内とお堂は施錠をし雨戸を閉めたうえで閉寺致しますので、ご理解とご容赦ください。
台風が過ぎ次第、通常のとおりと致します。
以前、当寺に霊感商法で買わされたという仏像のお引き取り依頼がありました。
そのときは、このご時世に未だそんなことしている宗教者がいるのか!?と驚きましたが、最近の宗教団体のニュースなどから、今もまことしやかに、そのような憂慮すべきことが起こっていることに、同じ宗教者として腹立たしく思います。
思えば「葬儀のお布施を100万円支払った」とか「戒名を授けてもらうのに80万円かかった」また「お墓を終うのに200万円請求された」などの既存仏教の寺に関する話を耳にしたこともありますが、宗教に関することが、その人に苦しみを与えているとすれば、既存仏教寺院であれ新興宗教であれ、これは宗教ではありません。〝宗教〟を隠れ蓑にし〝信仰〟につけ込んだ非道な行為です。
宗教の基本は〝救い〟です。誰しもが救われなければなりません。
西宮有馬坊でも、改めてこの基本に立ち返り、皆様方の安穏のために尽力しなければならないと心を強くしている次第です。
世間を騒がしている宗教団体についての一考。
個人の信仰について、その対象が何であれ個人が希望と勇気を与えられるとしたら、それは絶対に尊重されるべきです。
しかし、カルト宗教でよく言われている「無理強いな勧誘」「しつこい勧誘」「心理的恐怖の植え付け」「高額な寄付や宗教品購入の強要」「家族からの引き離し」などの行為は極めて憂慮すべき問題で、これは宗教的行為ではなく反社会的な行為というべきです。
しかし、これらの行為も、団体からの強要ではなく個人が自発的に行い、そのことで精神的安定を得る場合もあり、単純に批判をしづらい側面もあります。
また、いかなる宗教的な行為も、その行動原理は〝個人が救われる〟ことにあり、そのための行為の濃淡が救いの明暗を左右する旨の解釈ができる教義があるもの事実です。
しかし本来の宗教は、行為の程度によって救いが決まるのではなく、行為そのものが尊いのであり、この尊い宗教的行為の第一義は〝祈る〟ことにあります。
宗教の教えにある、「人前で祈りを見せたりするのではなく、暗い部屋に入り一人静かに祈りなさい」という言葉が示す通り、宗教的な行為は自分の中に向けて行われるべきことであり、教団や同胞に対し行われるものではありませんし、ましてや、程度の大きさや寄付の多さで救いが確実になるのでは決してありません。
西栄寺西宮有馬坊とご縁のあるみなさまにとって、心豊かな尊い祈りによって、穏やかにあられますことを心より念願しております。
西宮有馬坊でご法事をお勤めされる方の参考になるよう簡単な紹介ページを作りました。
今年もお盆参りが始まりました。
世の中不穏な空気に覆われていますが、夏の盛りに、清らかなご先祖さま、聖なる仏さまの存在を感じることで心が癒されることを念願いたします。