今日も、お寺にて新聞社の取材を受けた。
最近、テレビや新聞の取材依頼が続いているが、メディアの人たちの傾聴姿勢も様々で、話を聞くのが上手な人だと、言わなくてもいいような事までも、ペラペラと話してしまう。
しかし、最近は『聞く力』や『傾聴力』など、 さもすごい技でも有るように、まことしやかに語られているが、私が思うに、話している人を敬っているかどうかが何より重要だ。
私は、取材の度に申し上げているのは、「宗教者の私に、話をすれば癒されるはずだ!」という宗教者にありがちな慢心が有れば、それは話をする側が一番見透かしていることで、それでも、「宗教者としてのあなたのプライドを傷つけたくは無いので語る。」と言うやさしい人も居るという現実。
こうなればもはや、宗教者の慢心ための支援になり、まったく本末転倒の有様だ。
やはり、人のお話をお聴きするのには、技や力では無く、他者を尊ぶ心に尽きるのだ。
その尊ぶ心を養う教えこそが、宗教なのではなかろうか。←いいこと言うねええ〜
「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」とは、山も川も、森も花も、動物も虫も、生きとし生けるもの全てが『仏性』を持っているという教え。
それならば、すべてのいのちに備わる『仏性』を尊ぶのは、とても大切な信心なのではないだろうか。合掌