誰でも、怒りを自分に吸収し、前向きなエネルギーに変えて成果を出すことがあります。仮にも、怒りの原因を他者や他事に差し向けたとしても、そのエネルギーを無駄に怒ることのみで消費せず、目標を設定し行動することで有益な結果を得ることができれば、怒りを全否定することもありません。
しかし、有益な結果が自己満足のための帰結とするなら、それは本質的な成果にはならないと考えるべきです。
つまり本質的な成果とは、怒りの原因とされた他者や他事とも有益な結果を共有することであって、そこまで怒りのプロセスを経ることができてこそ〝怒りのコントロール〟といえるのではないでしょうか。