原爆犠牲者の供養

西宮市は市内の宗教法人にむけて、8月6日広島原爆の日と8月9日長崎原爆の日の両日に慰霊のための鐘を鳴らすよう広報しています。
西宮有馬坊は梵鐘を置いていない為、毎年ご供養の法要を営みます。
今年もしっかりと勤行をさせていただきました。
どうか、戦争無くなり核兵器をはじめ多くの兵器が無くなり、平和が訪れますように心より念願を申しあげます。合掌・南無阿弥陀仏。

防災センター体験型研修


阿倍野区防災センター「タスカル」で防災に関する体験型の研修を実施しました。
津波・火災・高潮など昨今の気候環境の変化にどれだけ対応できるのかを身をもって学ぶことを目的にし、35名の職員が参加しました。
阪神大震災と同等の震度7の揺れ体験は、記憶以上の揺れだったことと同時に、かつての西宮市内での被災体験が色々とよぎりました。

通販生活

お寺の介護はいにこぽん!

「通販生活」新春号に”お坊さんヘルパー”のことを掲載していただきました。

介護職の中でも特に、訪問介護ヘルパーとして、僧侶ならではの考え方や事例などを取り上げていただきました。

霊感商法

以前、当寺に霊感商法で買わされたという仏像のお引き取り依頼がありました。
そのときは、このご時世に未だそんなことしている宗教者がいるのか!?と驚きましたが、最近の宗教団体のニュースなどから、今もまことしやかに、そのような憂慮すべきことが起こっていることに、同じ宗教者として腹立たしく思います。
思えば「葬儀のお布施を100万円支払った」とか「戒名を授けてもらうのに80万円かかった」また「お墓を終うのに200万円請求された」などの既存仏教の寺に関する話を耳にしたこともありますが、宗教に関することが、その人に苦しみを与えているとすれば、既存仏教寺院であれ新興宗教であれ、これは宗教ではありません。〝宗教〟を隠れ蓑にし〝信仰〟につけ込んだ非道な行為です。
宗教の基本は〝救い〟です。誰しもが救われなければなりません。
西宮有馬坊でも、改めてこの基本に立ち返り、皆様方の安穏のために尽力しなければならないと心を強くしている次第です。


祈り

世間を騒がしている宗教団体についての一考。
個人の信仰について、その対象が何であれ個人が希望と勇気を与えられるとしたら、それは絶対に尊重されるべきです。
しかし、カルト宗教でよく言われている「無理強いな勧誘」「しつこい勧誘」「心理的恐怖の植え付け」「高額な寄付や宗教品購入の強要」「家族からの引き離し」などの行為は極めて憂慮すべき問題で、これは宗教的行為ではなく反社会的な行為というべきです。
しかし、これらの行為も、団体からの強要ではなく個人が自発的に行い、そのことで精神的安定を得る場合もあり、単純に批判をしづらい側面もあります。
また、いかなる宗教的な行為も、その行動原理は〝個人が救われる〟ことにあり、そのための行為の濃淡が救いの明暗を左右する旨の解釈ができる教義があるもの事実です。
しかし本来の宗教は、行為の程度によって救いが決まるのではなく、行為そのものが尊いのであり、この尊い宗教的行為の第一義は〝祈る〟ことにあります。
宗教の教えにある、「人前で祈りを見せたりするのではなく、暗い部屋に入り一人静かに祈りなさい」という言葉が示す通り、宗教的な行為は自分の中に向けて行われるべきことであり、教団や同胞に対し行われるものではありませんし、ましてや、程度の大きさや寄付の多さで救いが確実になるのでは決してありません。
西栄寺西宮有馬坊とご縁のあるみなさまにとって、心豊かな尊い祈りによって、穏やかにあられますことを心より念願しております。

南無阿弥陀仏



原爆犠牲者追悼供養

西宮市人権平和推進課内・原水爆禁止西宮市協議会のご依頼で、本年も〝原爆犠牲者追悼供養〟を勤修致しました。
日本は77年前、人類史上初めて原子爆弾を投下された国ですが、その日本しかできない平和的な活動が必ずあるはずです。
昨今、世界中が不穏な空気に覆われています。
今日は、戦争でお亡くなりになられた全ての人の御霊に哀悼の意を捧げると共に、世界の平和を心より願い奉ります。

原爆投下時刻 
広島 午前8時15分(昭和20年8月6日)
長崎 午前11時02分(昭和20年8月9日)

デスカフェ

デスカフェ/死について語ろう!
みなさん、思いのほか死生観を持っていて、臆することなく語り合い、予想を遙かに超えて盛り上がることができました。
死について語りながら爆笑できるって、すごい発見。
今秋、デスカフェ・パート2を開催すること決定!
コアメンバーで〝デス酒場〟を決行することも併せて決定!!

デス酒場でデス呑みしてからの二日酔いデス!

お寺で〝車座〟勉強会

お寺で〝車座〟勉強会 開催レポート 令和4年4月22日(金曜日)

〝生きる〟をテーマにした勉強会は数あれど、〝死〟をテーマにした勉強会は、そうありません。「車座勉強会」は〝死〟に近いところで職務にあたる、医療、福祉、介護、葬儀、納棺、宗教の人たちがお寺に集まり、〝死〟について、それぞれ思い思いのことを語りました。
テーマが漠然としていることもあり、特別な成果を得るまでには至りませんが、これだけの人たちが集まった事実はとても大きな意味があると自己評価位しています。

【企画の目的】

今回の企画は、医療・介護・葬儀・宗教に関わる人たちが集い、患者さまや介護サービスの利用者さまが、亡くなりそうなとき、また、亡くなったときに、さらには亡くなったあと、それぞれの立場で、患者さまや利用者さま、ご遺族さまの苦痛や不安を解消するために必要な考え方や具体的な技術、また、抱えている問題点や課題、忘れられない事例などを、各職種の発表者の意見を聞いて学び、さらに他職種連携の手がかりになることを目指します。

会場となる〝西栄寺本堂〟の様子】