予防介護運動指導員

今後、高齢者に対する福祉は予防介護が主流になります。
介護が必要とならないように日頃の運動が極めて重要になります。
でも闇雲に身体を動かしても効果は得られません。
とはいえ、難しく考える必要もありません。
普段の暮らしに少し工夫をすれば、効果の高い運動が可能になります。
お坊さんヘルパーも予防介護に力を入れて利用者さんの暮らしを支えていきます。

クリスマス!

お寺の介護はいにこぽんデイサービスのクリスマス会です。

お寺でクリスマス!?

今更ながら、クリスマスはキリスト教の宗教儀式ではありますが、世界中どこでも宗教を越えた季節の行事となりました。

当事業所では、お釈迦さまもサンタに扮していただき利用者さまとともに楽しんでいただきます。

サンタクぼーず!

これが噂のサンタクぼーず!

臨床宗教教養講座

来年度も臨床宗教教養講座が東北大学で実施されます。
私は平成24年に第一回臨床宗教師養成研修を受講し、現在もそれを背景とした活動を継続しています。臨床の宗教者とは、病院や福祉施設又は公共の場で他業種の人達と協働して対人援助を行う宗教者のことです。そういう場所では布教活動や教義の伝道は行いません。そこでは被支援者の中にある言葉にできない思いを察し、心の支えとなるものを共に探します。そして、そこから出てくる宗教的発露を民間信仰や教団の教義外にある多義的な信仰に繋げていくのが役割です。
信仰=宗教ではありません。例えばアイドルに熱狂することもその人にとっては心の支えとなります。これ然りアイドルは偶像という意味ですが、マリア様や観音様に対する祈りの想いと地脈で通じるものが感じられます。

東北大学実践宗教学寄附講座 臨床宗教教養講座

介護の基本セミナー

介護の基本は自立支援です。
何でもかんでもお手伝いするヘルパーさんよりも、高齢者が自分でできるように専門家の知識を活かして支えるヘルパーが優秀といえます。
家族が介護をする場合も、もどかしさを感じたとしても、高齢者自身の暮らしを見守りつつ、高齢者自身ができないところにのみ手を差し伸べることが重要で、結果的この姿勢が介護の重度化を防ぐことになります。

今日はそのような介護のあれこれを、お寺の介護とお坊さんヘルパーの第一人者、唯一無二の存在、そう!私!吉田敬一がお伝えいたしました。

倫理委員会

大阪市内の中核病院の「拡大倫理委員会」に出席しました。
病院では、治療方針や終末期をめぐる対応のたびに倫理委員会を開催し、個別の案件を審議します。
今回私は、年に数回開催される拡大委員会に宗教者として召集されました。病院で用いられるのは「生命倫理」であり、ここには正解がありません。正解がないからこそ、多くの専門家が多義的に議論することが重要です。医療科学の目覚ましい発展とともに生命倫理のあり方も変化します。その中において普遍的なものをしっかりと確保するのが宗教者としての役割かと考えています。

普遍的なものというのは「命」とは唯一無二の存在であると同時に、過去から現在そして未来と永遠に繋がっているという尊さです。人間の能力によって命の尊さをも管理しようとすべきではありません。管理などできないからこそ尊いのです。

神道の世界に「円満虚無霊性」という考えがあります。神とは何か?霊性とは何か?この答えが「円満虚無霊性」です。例えば、円満は100%と捉え、虚無は0%と捉えその両方100と0が同時に存在する。完璧に在るものと全くの無、これら全てを包括する存在が円満虚無霊性であります。

さらにもっとわかりやすく説明しますと、私の奥様への愛情は円満。奥様の私への愛情は虚無。なのに一緒に暮らしているのはなぜか?
それは大いなる存在のお導きが在るからなのです!!キタ━(゚∀゚)━!
っていうてる場合やあれへんし…

にこぽん研修

お寺の介護はいにこぽんの研修を実施しました。
10月から下半期ということもあって、今回の講師は私が受け持ちました。

「お寺の介護」というだけあって、お寺によるお寺らしい介護とはどのようなものか、「仏教は究極のサービス業だ❗️」と題して仏教的精神によって人に接することの大切さをお伝えした次第です。

お釈迦さまは、「自分が幸せになりたければ、まず他人を幸せにしなさい。なぜなら自分を幸せにしてくれるのは他人なのですから。」とお示しになられました。これを自利利他といって、仏教は究極のおもてなしとして実践できるというのが今日のお話の要点となります。

と、偉そうに宣っていますが、私自身が他人を幸せにしているのかどうか、このことを家内に聞こうものなら、すかさず鉄拳が飛んでくるのは間違いないでしょう。

家族会

「お寺の介護はいにこぽんのいえ」の家族会です。
サービス付き高齢者向け住宅では、 年1回家族会を開催し、入居者さんとはもちろん、家族さんと職員の親睦を深めます。

私は、介護福祉部長という立場で家族会を運営しましたが、普段は、僧侶として西宮坊の法務を兼ねているため、介護業務の詳細な部分は、介護職員に任せる事が多く、そのためか、入居者や家族さんの笑顔は、普段身近に接する介護職員に向けられる事がほとんどです。
寂しいと感じること半分と、介護職員への頼もしさを感じること半分です。
しかし、密かに、私自身どちらかに専念するように考えを固めていかないといけない時期にきているように感じています。

江戸時代の禅僧、鈴木正三のことばに「仏法といふは、只今の我心をよう用いて今用に立てる事なり」とあります。
これは、何のために修行するのかと問うた時に、目的を遂げるための修行ではなく、修行そのものに意味があり、その姿がすでに仏であると理解できます。

僧侶であれ介護部長であれ、打算や利益優先では、いくら専念したところで真実の光は見えてこないし、いつまでたってもこん畜生の似非坊主が定位置になる事でしょう。
チーン!南無阿弥陀仏

会計

本日は、関西臨床宗教師会の理事会がありました。
年度の途中ではありますが、今年度の会計の役を依頼されましたので、お引き受けすることとなりました。
実は、わが家族が普段の住まいにしている地区の理事会でも、今年度の会計に任命されていて、今年度は、こういう巡り合わせになっているのだろうと、抗うことなく素直に引き受けている次第です。
経済の世界では、「好循環」という言葉がありますが、 私は「良循環」という言葉が好きで、よく使っています。日常の小さくても良い行いを大事にしておれば、良い流れが起こり大きな幸せへと導かれるという意味です。
与えれらたお役目には、何らかの意味が内包されて回ってきたのでしょうから、大事にそのお役目を果たしたいと心を強くしています。

入居者さんの旅立ち

「お寺の介護はいにこぽんの家」に入居中の“A子”さんが本日永眠されました。
A子さんは、循環機能に疾患があり、医療用酸素を付けていました。
サービス付き高齢者向け住宅では、医療的ケアが必要な高齢者の入居は、難しい現実があります。
A子さんのご家族から入居の打診があった際も施設としてどうしたらよいか検討しました。
ただ、介護福祉部長としての私の中では、 亡き長女が同じく医療用酸素のお世話になっていたことと、その亡き長女が小学校に入学する際、市の教育委員会は養護学校への入学を勧めていましたが、親の私たちの意向は地域の小学校へ入学させたいという思いが強くありました。
何度も話し合いをしながら、最終的には当時の小学校校長の「地域の子供達は、地域で育てるのが基本」という言葉が決め手になり、希望通り地域の小学校に入学できたことを思い出し、さらには、長女が小学校内で医療的ケアが必要になった時のため、ボランティアの看護師さんが付き添ってくださったことへの感謝のお礼につながると思い、A子さんの入居を引き受けました。

世の中は、目に見えない縁によって繋がっていると説くのが仏教です。
亡き長女とA子さん、そしてそこに関わる人たちは直接の関係はありませんが私という人間を通して縁を生み出したのです。

A子さんの、安らかなご往生を心より念願申し上げます。
合掌