今日ともしれず、明日ともしれず、ひとの命のはかなきこと夢幻の如く、
明日には紅顔ありてゆうべには白骨となれる身なり。
後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみ参らせて
念仏申すべきものなり。
(白骨のご文章)
わたしたちは、いつ死ぬかなどと考えてみても、今日かもしれないし、明日かもしれないと、極めて残酷で無情な事象の中で生きています。
しかし、今日かな?明日かな?などと思いつめて生きるなどありえません。
〝自分の死〟などは、先延ばしに延ばしてぼんやりさせていないと、とても生きてはいけません。
でも、その厳しい現実を違う形で見せつけられるのが〝家族の死〟です。
家族の死は、否応もなく死のおそろしさに引き込まれます。
しかし、そういった死の恐怖を緩和するのが宗教であり、宗教に基づいた葬送儀礼であります。
今一度、形骸化してしまった葬送儀礼のあり方を考えなければなりません。