腸を整えれば幸せを実感できることが解明されつつあります。
腸内の細菌を活性させれば、幸せ物質といわれるセロトニンやドーパミン
などの神経伝達物質の前駆体が豊富に合成されます。
つまり、幸せを感じるためのは、
腸に優しいことを実行すれば良いということになります。
腸内にはおよそ200種類、4000兆もの腸内細菌がいると考えられています。
腸内細菌の重さだけでも1kgあるとか。
腸内の細菌類が活性化されている状態の様を〝腸内フローラ〟と呼んで、
そのようにするための方法は、実はいたってシンプルです。
その一つが〝呼吸〟です。
腸のなかに空気を送り込むようなイメージの丹田呼吸法がそれです。
この呼吸法を取り入れた、お坊さん考案の「超簡単!幸せゆっくり体操!」
をご紹介するため講師を勤めました。
月: 2019年3月
葬送儀礼所感その12
惟みれば、人というのは
孤独のうちに生まれて、孤独のうちに死ぬ、
孤独のうちに去り、孤独のうちに来る。
「独生独死独去独来」…仏説無量寿経
愛する家族や親族、知友にどれほど恵まれた人でも、
死が訪れた時、それはその人独りだけのもので、
独りだけのものであるがゆえに、崇高である。
人はどれだけ生きたか、ではなく、
どのように生きたか、が本質であり、
どのような価値のある人生を歩んだのか、
その人の体験価値が人生の終わりを支える。
明日死ぬとわかっていても、
どのように素晴らしい人生を生きてきたのか、
と自分に問い合わせながらその時を迎えるのだ。
ゆっくりゆっくり
人間の神経は、中枢神経から末梢神経の回路を経て体性神経と自律神経に分かれて、さらに体性神経は運動神経と知覚神経に、自律神経は交感神経と副交感神経に分かれます。
どの神経も私たちの体になくてはならないものであるのはいうまでもありませんが、特に私は自律神経のケアについて重要視しています。例えば、心臓や胃などの動きは自分で思うように動かせませんが、それでも動いているのが自律神経の働きがあるからです。このことをとってみても自律神経がいかに重要かが分かります。
体の健康と心の健康どちらにも大きな影響力を持つ自律神経ですが、思うように鍛えたり整えたりすることができません。
それでも、この自律神経のバランスを保つコツがあります。それは「ゆっくり」です。
ゆっくり呼吸、ゆっくり話す、ゆっくり歩く、ゆっくり食べる、ゆっくり暮らす。
とかく現代人は時間に追われストレスをためて、自分を見失いがちで幸せを実感できずにいます。
この状態を心身で説明すると、自律神経のバランスを崩しているという事になりますが、日頃から自分に対し「ゆっくりゆっくり」と言い聞かせて、本当にゆっくりと穏やかに暮らしたいものです。
森伊蔵
親しくしてくださっている檀信徒から戴きました。
なかなか手に入らないものと聞いていて、一度は口にしてみたいと思っていました。思いもよらない贈り物に感激しています。
葬送儀礼所感その11
阿弥陀仏のことを“不可思議光如来”とお讃することがあり、また“無量寿光如来”といっていただくこともあります。
いずれも“光”を重んじています。そして阿弥陀仏から照らされる真実の光明は十二の働きがあると「正信念仏偈」に説かれています。
無量光…はかりなきひかり
無辺光…ほとりなきひかり
無碍光…さえぎるものなきひかり
無対光…ならびなきひかり
炎王光…このうえなきひかり
清浄光…きよらかなひかり
歓喜光…よろこびのひかり
智慧光…ちえのひかり
不断光…たえることなきひかり
難思光…おもいをこえたひかり
無称光…ほめつくせないひかり
超日月光…にちげつにこえたひかり
このような、極めてありがたい光明に照らされているのが私たちです。この光を感じることことができるようにするのが供養です。
臨床宗教師
臨床宗教師の全体フォローアップ研修です。
医療や福祉の現場で宗教者ならではの支援を行うのが臨床宗教師です。
宗教者ならではの支援とは、宗派の教義で教化するのではなく、人々の信仰を優先し、その人の宗教的価値観の範囲で、大いなるの者との繋がりをともに模索することにあります。
そのような支援で人々の苦悩や悲嘆に寄り添うには、まずは宗教者が自分自身の内面の奥深くまで入り込み、自分の苦悩や悲嘆に向き合わなくてはなりません。
そのようなトレーニングプログラムが今回のフォローアップ研修となります。
ひな祭り
介護施設ではおひな様をお飾りして祝っております。
高齢者もおひなさ様をみて、幼き自分の思い出を巡らして心穏やかになってくだされば嬉しい限りです。
私たちは、『今』にしか喜びを感じることができません。
「その瞬間を生きる!」ことはとても大事なことです。
しかし、どのように生きてきたか、どのような素晴らしい体験をしたか、宝物のような思い出がどれくらいあるか、このことは、『今』をどのように生きるのか、を支える重要な要素になります。
一説には、人の脳は、辛い思い出も徐々に美しい思い出に変える働きをするといわれています。
一方で、悲しい思い出や辛い思い出があるから、美しい思い出が際立ってくるともいえます。
どのような人にも、純真で愛らしい幼き時代がありました。
この世に生をうけて、美しい思い出を重ねてきた人生。
「人生〜って嬉しいものですね〜♬」美空ひばり 愛燦燦
施設長
この度2月26日付で、お寺の介護はいにこぽんのいえ(サービス付き高齢者向け住宅)の施設長となります。
そもそも、介護福祉部長として全体を統括していますが、今回この高齢者住宅の運営強化のため部長と施設長の兼務となります。
この世には、一人一人の人間に何かの役割が決められていて、それは社会や組織が決めているといえますが、もっと違う存在が道しるべを引いているとも感じます。
私の場合、やめようと思っていてもその方向に引っ張られたり、巻き込まれたり、自分の意思であるにも関わらず、なぜか自分の意思ではないような気力が起こってそこに居続けたり、よくよく考えれば、この役割を決める根源には何があるのでしょうか。特に宗教や福祉などでは慈善意識がないとその本質が理解できないといえます。「人はなぜ人を助けるのか」この感性は社会や組織によって形作られるのではなく、潜在的な慈善意識がそうさせていて、この潜在的慈善意識は、自分がそこから逃げたいと感じていても、それを許さなかったり、思ってもいない力を与えたりするのではないでしょうか。